比重

2010年6月16日 日常
昨年はしがない大学1年生だった僕は、世間の大学生がおおよそするようにバイトに従事していた。
余暇ができれば暇と嘆き、少しの多忙で死んじゃいそうとのたまうそのふてぶてしさ。
4月に誓ったことも忘れてしまったのはやはり自分らしい。ああしておけばという後悔も、組織に所属できた安堵感によって強引に封じ込めた。とりあえず歩ける道は開かれた。ならば歩くしかないし、歩かざるを得ない。

しかしここに来てそれではダメなんじゃないのかという世間の大学生がおおよそぶつかる煩悶に苛まれた。若さを唾棄すべしといいつつもどこかその甘美な感じがするそれを自分も掴んでみたいという欲求と、将来という2文字が現実感を帯びてきたことに対する恐怖へどう対処するのか。

正確に言えば後者の解決策は実に単純明快、迷いの余地なしであり、自身に能力があることを客観的に示す公的に認められた組織の検定を受けたりとかすればよい。
あとはせいぜい教授に媚びでも売って、したくもない作り笑顔の練習をすればいいのだろう。
では前者はどうか。
硝子細工のようなそれを掴むことなどこの僕にできるというのだろうか。僕にはいつも2項対立がある。すなわちその焦燥感は無味乾燥とした日常に対する反発心によるものであって、ただそれを打ち消したいという気持ちによってそんな感情を起こしているのだという思い。
実際は純情でもなんでもなくてただそうなってみたいという属性だけに主眼を置いた感情なのではないかという疑念と、
旧来通り純真な気持ちで射止めてみたいという思いだという、その2つ。

実際対立というよりは併存という方が適切かも知れない。どこか自分でもそう感じている。常々万華鏡(友人)と飲んでるときに、酔狂に至っても「どこか急に冷めたような感情を有することがある」と言えたところにも、それがうかがい知れる。
僕は実際そのどちらでも良いような気がするのです。ただもし対立の前者の思いしかなかったのなら、相手に済まないとも思うのです。でも世間の人たちが一体どれほどそんなに真面目に観察し、考察し、自分への反問を繰り返しているというのだろうか。

そんなことを繰り返している自分はただの愚直なのか、それとも臆病者なのか。
それもまたどちらとも当てはまっていそうだが・・・。

学校もバイトも実際どちらも円滑である。
不満を見つけなければ不満はない。しかし見つけてしまうからこそ不満に思う。
どうしたいのか、と聞かれるのはとても苦手だけれども、どうしたいと聞かれればああしたいと答える。あんな風に、アノヒトみたいにしてみたい、なんて無意味なことを・・・。

別にこと恋愛においてだけそう言っているのではなくて、人混みを踊るようにさけて抜けられる人を見ているととてもうらやましく思える。街頭で配っているティッシュさえも受け取ってしまうような僕ではああいう芸当はできない。

器用さも賢さもない。せいぜい勤勉さくらいはあるかもしれないけど、学校という言葉を出したときにそれすら失われつつあるかも知れない。
なんのためにしているのか、なんのために考えているのか、なんのためになにをしなきゃならないのか、見えていることもあれど、見えてないことも多く、見えてないことの方が、僕にとって重要だったり。


・・・というようなことを学校もバイトも休みであることをいいことにくだくだと考えてまた無駄に1日を過ごしてしまいました。

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