memory of waste [2415号]
2009年2月25日 日常本日の日記
邦題:埋もれた記憶
いやそんな映画はありません。一つ大切な書類が紛失し幸い見つかりましたけど、その過程で引き出しをひっくり返し、なんとなく整理させることなく積まれた書籍類は崩され、地味に進行中だった何でも箱の整理中のものと混ざり込んで、周囲はゴミ集積場のようになってしまった。
途方に暮れて、結局また適当に片付けてしまったんですけども、中学から高校までの連続的なながれがそのゴミの中にあって、古いノートとか作文とか、そういうのがで出来て、全部捨ててもいいんだけど取っておきたいみたいな。
公文書保存館みたいなのを作ろうかなーとまたゴミを溜める計画をしたり。
みなさんは取っておいてありますか。ノートを見返すと自分のバカさ加減に呆れる。ほとんどミミズが這ってる。当時はネットのブロードバンドが流行ってて深夜までやってましたから、寝不足だったんですよ。睡眠時間3時間4時間が当たり前っていう、どこの明石家さんまだよっていう生活をしてましたからね。
高校の時はひどいと1時間、30分しか寝てないというのもありました。
今はおかげさまで7時間以上寝てますけど。おそらくまたすいみんすいみんすいみんすいみんすいみん不足な生活に戻ると思います。
睡眠不足の時の方がなんかやる気が違うんですよね。昼間は死んでるけど、プライベートが意欲的。今は睡眠時間がたっぷりあるせいか、今日なんてDVD見てましたからね。掃除するつもりだったのに(←ただダメ男なだけでは?)
まあとにかくゴミに埋もれた記憶に話を戻すと、一枚の興味深い作文を見つけました。
内容から推測すると中学1年か2年のときに書いたものです。まあ。
僕みたいな人間にも純真無垢な時代があったのねぇ、という。
実際難しい話だと思う。存続支持派だけど別に熱心にそう思っているわけではなく、現状維持が一番かなと思うわけですけどね。過去の自分に反論すると
1.死刑制度の抑止力の有効性について
そもそも抑止力を目的に設けられた刑なのかを考えるべきでしょう。たしかにそういう側面も持っているかも知れませんが、罪が重ければ抑止力になるというなら、理論上犯罪は起きていないはずです。そこだけを捉えて良い悪いというのはちょっと思考不足です。
2.被害者の視点の欠如
“過去の僕”は被告が望んだ発言をしていることに触れて、償ったことになるのかと論じてますが、被害者の視点を完全に置き去りにしてます。大切な人を奪われた遺族は極刑を望むのが普通でしょうし、例えへらへら笑って絞首刑になっても、遺族にとっては意味があるのかも知れません。
3.情報源不足
テレビで見た、ことを元に書くのはあまりおすすめできません。まあ中学生だった自分に何を期待してるという話ですけど。
4.冤罪の可能性
確かに過去免田事件など逆転無罪になったケースもありますが、逆にそれは日本の裁判がきちんと働いている証拠かも知れません。基本的には疑わしきは罰せずです。冤罪がないとは断言できませんがDNA鑑定等科学的に高精度と証明されている証拠が採用されている現状で冤罪で死刑になる確立はきわめて低いと言っても差し支えないんじゃないでしょうか。
殺害が明らかでもその後が残酷でも無期懲役になるような国ですからね。
というわけで僕ならDをつけます。
もっと個人的に面白い作文があったら取り上げます。
ゴミの中から別に「読むパセリ」という題の現代文の時に書いた作文(?)が出てきており、内容は再販維持制度のおかしさを書き殴ったものでつまらなかったので載せませんでしたが、先生はタイトルに波線をつけて ? を付けていた。
これは読むサラダという読売新聞(日曜版)でかつてあった(今もある??)エッセイのパロディなんですね。
先生は国語教師なのに目を通してなかったのかな?と当時の僕は思っていたでしょうか。嫌みな生徒でしたね。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どんなに疲れていても風呂上がりサビと遊びます。
いや風呂から出てくるとひっついてきてにゃーにゃーと鳴くので仕方なく、という方が正しいかも。
もっと早い時間に遊ぼうと思っても何故かサビは遊ぼうとしない。あくまでも深夜がいいらしい。
邦題:埋もれた記憶
いやそんな映画はありません。一つ大切な書類が紛失し幸い見つかりましたけど、その過程で引き出しをひっくり返し、なんとなく整理させることなく積まれた書籍類は崩され、地味に進行中だった何でも箱の整理中のものと混ざり込んで、周囲はゴミ集積場のようになってしまった。
途方に暮れて、結局また適当に片付けてしまったんですけども、中学から高校までの連続的なながれがそのゴミの中にあって、古いノートとか作文とか、そういうのがで出来て、全部捨ててもいいんだけど取っておきたいみたいな。
公文書保存館みたいなのを作ろうかなーとまたゴミを溜める計画をしたり。
みなさんは取っておいてありますか。ノートを見返すと自分のバカさ加減に呆れる。ほとんどミミズが這ってる。当時はネットのブロードバンドが流行ってて深夜までやってましたから、寝不足だったんですよ。睡眠時間3時間4時間が当たり前っていう、どこの明石家さんまだよっていう生活をしてましたからね。
高校の時はひどいと1時間、30分しか寝てないというのもありました。
今はおかげさまで7時間以上寝てますけど。おそらくまたすいみんすいみんすいみんすいみんすいみん不足な生活に戻ると思います。
睡眠不足の時の方がなんかやる気が違うんですよね。昼間は死んでるけど、プライベートが意欲的。今は睡眠時間がたっぷりあるせいか、今日なんてDVD見てましたからね。掃除するつもりだったのに(←ただダメ男なだけでは?)
まあとにかくゴミに埋もれた記憶に話を戻すと、一枚の興味深い作文を見つけました。
内容から推測すると中学1年か2年のときに書いたものです。まあ。
死刑制度についておそらく中学の公民でディベートもどきをさせられたのでしょう。先生の評価はAでした。まあ偏っていた先生かどうかは知らないけど、実際今の自分は存続論者なので、昔は反対していたんだという意外性?
自分は、存続しない方が良いと追います。なぜなら、死刑は必ずしも凶悪犯罪の発生の抑制に有効ではないからです。
ニュースで池田小学校事件の裁判を見ましたが、被告人自らが死刑を望むような発言があり、例え死刑になっても罪を償えたとは思えません。
また、無罪なのに死刑になってしまったら取り返しがつきません。
やはり死刑は存続しない方が良いと思います。
僕みたいな人間にも純真無垢な時代があったのねぇ、という。
実際難しい話だと思う。存続支持派だけど別に熱心にそう思っているわけではなく、現状維持が一番かなと思うわけですけどね。過去の自分に反論すると
1.死刑制度の抑止力の有効性について
そもそも抑止力を目的に設けられた刑なのかを考えるべきでしょう。たしかにそういう側面も持っているかも知れませんが、罪が重ければ抑止力になるというなら、理論上犯罪は起きていないはずです。そこだけを捉えて良い悪いというのはちょっと思考不足です。
2.被害者の視点の欠如
“過去の僕”は被告が望んだ発言をしていることに触れて、償ったことになるのかと論じてますが、被害者の視点を完全に置き去りにしてます。大切な人を奪われた遺族は極刑を望むのが普通でしょうし、例えへらへら笑って絞首刑になっても、遺族にとっては意味があるのかも知れません。
3.情報源不足
テレビで見た、ことを元に書くのはあまりおすすめできません。まあ中学生だった自分に何を期待してるという話ですけど。
4.冤罪の可能性
確かに過去免田事件など逆転無罪になったケースもありますが、逆にそれは日本の裁判がきちんと働いている証拠かも知れません。基本的には疑わしきは罰せずです。冤罪がないとは断言できませんがDNA鑑定等科学的に高精度と証明されている証拠が採用されている現状で冤罪で死刑になる確立はきわめて低いと言っても差し支えないんじゃないでしょうか。
殺害が明らかでもその後が残酷でも無期懲役になるような国ですからね。
というわけで僕ならDをつけます。
もっと個人的に面白い作文があったら取り上げます。
ゴミの中から別に「読むパセリ」という題の現代文の時に書いた作文(?)が出てきており、内容は再販維持制度のおかしさを書き殴ったものでつまらなかったので載せませんでしたが、先生はタイトルに波線をつけて ? を付けていた。
これは読むサラダという読売新聞(日曜版)でかつてあった(今もある??)エッセイのパロディなんですね。
先生は国語教師なのに目を通してなかったのかな?と当時の僕は思っていたでしょうか。嫌みな生徒でしたね。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どんなに疲れていても風呂上がりサビと遊びます。
いや風呂から出てくるとひっついてきてにゃーにゃーと鳴くので仕方なく、という方が正しいかも。
もっと早い時間に遊ぼうと思っても何故かサビは遊ぼうとしない。あくまでも深夜がいいらしい。
コメント