冷淡 [2297号]

2008年6月16日
本日の日記

正確に言うと水曜日の起こった事象であって、水曜日の日記に書くべきところなんでしょうがこれといってネタがないのでこの月曜日に書くことにします。

というのも、話としてはちっとも面白くないからです。

並んだ机の前でただ黙って筆記用具とかを用意していたときに、右後ろの女の子達の会話が耳に入ってきた。

「女子高生に戻りてぇー」

「ああーまぢでそう思うよね」

「駅とかで(人を)待ってるときに女子高生見るといいなぁって思うもん」

僕はにこにこした。実はこの次のエントリーをごらんになればわかるとおり、面白いWeb漫画を見つけて一睡もせず(本当は15分は寝た)その場所に参上したばかりであり、その話はややR18系であるものの(これは水曜日分に書くよ)主舞台が中学校であって、自分の青春を思い返したときに、なんて卑屈な態度で過ごしちゃったんだろ、高校やり直したい、と朝方僕もそう思っていたんです。

彼女たちはこう言ってました。

「きっと超たのしーんだろうね、今頃」

「たぶんそう思う、いいなぁー遊びてー」

彼女たちに僕の経歴を明かして、君たちはまたまだがんばれるんだからがんばりなさい、と励ましてあげたくなったが、目の前のことによって自分が縛られていると思っているなら、是非誰がその手綱を持っているのかたぐってみるべきでは?と気持ち悪いアドバイスをしたくなった。

何が言いたいかって言うと、結局高校の後進学したいと望んだのは自分なのであって、例え社会的にそれが主流であるように感じ取れたとしても、選択肢はいろいろあったはずなんです。つまり主従関係でいえば、そのどちらも自分なのであって、目の前のやらなきゃいけないことって、自分が自分に出したもの。だから遊びてーというのなら、遊べばいいんですよ。自分とした約束なんだから。

そして彼女たちはきっと楽しい高校生時代を送っていたんだろうなぁと微笑ましくなった。僕は高校時代、恥ずかしいやつだったと思う。考え方もひねくれてまして、今もだけど、僕はもっと周りを見ることをすればよかった。努力不足だった。

彼女たちの会話は今のところタイトルの「冷淡さ」を持ってない。
そう、ここまではただのぼやきでした。ここから、ここからなんです。

「そういえば、あたしの友達、高校んときのせんせーと卒業したあとにつき合ってた(笑」

せ、先生と、だと・・・!?

「まぢでー?すげーなそりゃ相手いくつよ?」

「んー若いよ26くらいかな、でもあたしそのせんせーって臭いって印象しかないからもうげーって感じ」

「くさい?」

「まだ26なのにすごいの、においが。あたしにおいに敏感だから(笑)もうだめだった、友達とそのせんせーは今もとってもいい仲なんだけどあたしからするとありえねーって

友達にメールがそのせんせーから来てて、こんなんだった
『これからは先生と生徒としてでなく・・・』ぎゃははは!こっから先はキモくて言えない!!あんな臭いのになにいってんだか!」

きゃー、女の子って冷淡ね、と思ったのでした。単なる女性不信と言われたら否定しないけど(笑

もちろん、女の子みんながこんなやつじゃないと思ってます。僕は少数派を見たんです、きっと。

だけど“友達”が愛した人のことをそこまで言う必要がある?あんた、それ本当の友達なの?とたくさんの疑問符とともに、血祭りにあげられているその二人の恋が、いとあはれなり(*1)、と思って苦笑いした。

でも自分はその彼女を批判できるほど善人か?
でも僕は会ったこともない福田康夫が嫌いだが?
でも内々での批判的な話に荷担したことがあるが?

結局僕も同じ穴の狢だな、と思ってまた笑ってしまった。
彼女が自分の感性を疑っていないように、僕もまた自分の感性を疑わずに人を否定してしまっている滑稽さに気がついて。

(*1:本来はとてもしみじみとするなぁ〜って意味。アラガッキーが昔言ってましたよね。でもここでは現代語的感覚で読んでください、とっても哀れだな、と)

今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そんなこと言ってたらなにも批判でき無くないか?
普遍的なことしか述べられなくなってしまうのでは?
とマミが思っているかどうかは知らないが、今日もマミは楽器のキーボードの上で眠ってました。

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