宵のあと [2200号]
2008年2月23日本日の日記
タイトルは語感だけで決定。
長い間酩酊状態だったというか、まあ酒なんて飲んだこと無いけど
2月に入ってからの僕はどこかおかしかったと思う。
たぶん今もどこかおかしいと思う。でも昨日よりは今日はちょっとだけ
変わった気がする。
最近の自分を自己解析すると、結構ネガティブな日記ばかりを書き続けて
内省的で良いような気がするんですが、
実はあの日記、嘘でした。
嘘って言うのは嘘。本心です。全て本心です。
だけど、結局日記の前だけ素直だったんです。
そりゃ日記に向かうときは自分を見るときだから素直になりますよね。
だけど日記を閉じた後、結局反省を生かそうとする態度は無かった。
この日記を書いた後ももしかしたらそうなっちゃうかもしれない。
だけど、今日は長い酩酊状態から蛍を見た気がしたんです。
マッキーっぽいが(笑
今日の僕は1日変だった。突然槇原敬之の本。が読みたくなって
朗読した。本当に声を出して読んだんです。
読んだのはマッキーがデビューするまでのところ。
マッキーは3浪の末青学入学したらしいのですが、
そのくだりを読んで妙に自分を肯定してしまったんですね。
本にはどんなときも。の歌詞も添えられてて
歌ってみたら結構感動した。この歌には何度も助けられてるけど
改めて。
そして夜。おかしな僕はそのままおかしいままだらだらと時間を潰した。
押し入れの掃除なんかを不意に始めてみたり。
ここだけ書くともう奇人の域に達しているように思われるが
実は近々和室を改装する予定が入っているので一応まだ正常な行動です。
迷走中迷走中。テレビからいろいろなニュースが入ってくる。
新聞も書かさず読んでます。なぜか新聞だけはまじめに読んでます。
で、母がやってきて今後の話になった。
母は今更僕を責める真似はしなかった。それが逆に申し訳なく思った。
だけどなんかもう、どうしようもない自分がそこにいて
仕事で疲れた親がいて、僕は和室の片付けをやめて母の質問にいくつか答えた。
進学や教育について母がため息をつくのは、これが初めてじゃなかった。
高校受験だって僕はろくな態度や結果を母に示すことができなかった。
僕は結構後悔した、つもりだった。
だけど何一つ生かされることはなかったのです。
でもこうやって母の質問にマイナスの答えを用意している姿は
あのときからちらついていたような気はしたのです。
強がりで自分の体のことは自分がよくわかる、という人がいて
そういうのに似た感じです。そういう人は案外深刻な病が進行していることを
察している場合もあるんです。でも明示するのを恐れて
あえてそうしようという態度を取らない。
母は質問の答えに満足してなかった。
僕も僕が言う答えに満足はしてませんでした。
そしてとうとう僕は告白しました。
僕はいつかの日記で自分について努力を完成させたことがない
みたいなことをいったような事があったと思いますが
僕は昔から勉強は好きじゃなかったし、高校を出るときに
素直に推薦取っておけばよかったのかなぁって言いました。
それは絶対に言いたくない言葉でした。だけど言ってしまいました。
浪人させてもらってそんなこと言ったらたぶん地獄行きだと思います。
でもそう思ってしまったことを言いたかった。というかあふれてしまった。
母は慰めもせず叱責もせず。。。
相当親不孝なこといっているという自覚はあるんですがね。
まあここまできたものはしょうがないじゃないか、と言うようなことを
言われて今後の話は終わってしまった。
その後は雑談が続いた。
「皇族に生まれたかったかも」と言ったのは僕です。
「それは単なる逃げだと思う」
「そうかな」
「それに皇族だって楽な生活じゃないと思うけど」
「そう?衣食住に困ることはないし、進学にも困らない」
「でも“自由”がない」
「そんなこと無いと思うけどな」
「24h監視されてるみたいなものでしょ?何かしたらすぐ報道される・・・
私は嫌だね、そんなの。何したって報道されない庶民が一番」
「うーん」
「例え苦労したって(庶民のほうが)いいってば。自由はいい。
苦労する自由だってあるんだからさ」
苦労する自由?
なんかこの言葉を聞いたとき、やっぱり母ってすごいな、と思った。
苦労って強いられるもの、だと思ってたから。
今こうやって路頭に迷ってるのは全て自分の責任です。
自分が進路を適当に選んどけばこうなってないし
まじめにしてればこうなってない。でもどこかで
例えば日本の大学が諸外国のように入りやすかったら・・・とか
企業が学歴を求めなければ・・・という思いを持っているのも
やっぱり事実なんです。もちろんそんなこと、日記以外では言いません。
でもつまり自分が受験するのは、するんじゃなくて「せざるを得ない」と
思って自分をごまかしてきた気がするんです。
この苦労はしなきゃならないもの。
しかし、実はこんな苦労も自由があってこそ、というか
苦労をするもしないも自由、と言われるとなんだか不思議な気分です。
苦労と引き替えに(庶民と比較して)自由がない皇族。
苦労と自由が結びついている国民。
たしかに、自由の味を知っていると、苦労してでもこの生活を続けたいと思うかもね。
参政権も何もかも全て持ってる自分たちは、確かに
幸せなのかもしれない。もちろん皇族が不幸だって言ってるわけじゃないですよ。
やっぱり母が言うように苦労の途中で「皇族に生まれたかった」
などという僕はとんでもない不届き者って事です。
母の説明は憲法みたいで感激した。
自由が守られている憲法だけど義務も課せられているものね〜。
そうだ。自分で苦労を選んだんだ。そうだ。
そしてその後話はずれて母の母、すなわち祖母の話になった。
僕の祖母は僕が生まれる結構前に亡くなっている。
何度か墓参りの記述をしたことがあるので知っている方は
知っているかも。僕は祖母を知らない。
母の高校時代の話から(元々は僕の勉強しなさ加減をさかのぼっていた)
そんな風になったのだが、実は改まって祖母の話を聞いたことがなかったので
いろいろと質問した。
祖母と祖父は対極的に性格だったらしいことは聞かされていたが
細かな話を聞くとなるほどな、と思った。
母の話を聞く限りだと、明るい人だったらしい。
物事を白黒つける性分だったというから、母にきっちり
その性質が受け継がれたらしい。
僕はそんな話を聞いて急に泣き出しそうになってしまった。
たぶんこんなあやふやじゃわからないと思いますけど
母の大切な思い出みたいなので残念ながら細かく言えません。
僕はまあなにをやっていたんだ、と思い知らされました。
どんな説教よりも効きました。情けなかった。
母も回顧が行き過ぎたと見えて、風呂に入る、と入ってしまったが
僕はそれを良い機会に部屋でまた泣いてしまった。
祖母や母の話は特別不幸だ、という訳でもなかったのだが
妙に祖母が亡くなってしまうまでの過程が僕の中にリアルに
思い浮かびまして。。。というのも僕は母の実家で13歳まで
育ったので、背景は完璧に思い浮かべることができるわけです。
すごくリアルに感じて、そして実は今まで特別な念をもって
手を合わせたことがあまりなかった祖母に対して
急にいろいろと気持ちがわいてきたのです。
僕は今日までの自分を情けなく思いました。
実は今も気持ちは晴れてはいないんですが、
でも何歩か、幾分か悪い自分を引き離すことはできた気がします。
過去を追求すると言うことは実は今まではあまりしませんでした。
決して関心が無いわけではないのですが、うちはいろいろと
ありまして、深追いすると母を苦しめる気がしていたからです。
でもいつかはいろいろ知るんでしょうね。たぶん。
その時受け止められる大人になっているのかな。不安です。
暗いっぽい話ばかり書いてすみません。
ただ日記だから、やっぱり書いて置いた方が良いのかな、と思いまして。
僕と親との関係は良好ですから安心してください。
文面ほど僕も落ち込んじゃいません。
押し入れ掃除の時にたまたま出てきたfeelというCDを聴きながら
日記を書いているせいかマイナス加減が強くなりすぎたかな(笑
神々の詩って良いですよね。あば〜なか〜あな〜あ〜ぽ〜♪
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母と僕の会話中マミはずっとティッシュ箱で遊んでました。
しかも中身入りです。
もう怒る気にもなれなかった、別にいいよ、ティッシュくらい。
でもこうやって家族のそばにいて遊ぶマミは愛しいです。
きちんとみんな揃ってるのが笑える。
マミは無関心のようで話を聞いているようで、ティッシュを
バラバラにぶちまけていました。
実はマミはその場の雰囲気を必要以上にマイナスにしないために
重要な役だったりします。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「水たまりに張った氷を割るのは、好きですか?」
(あおいさんに一日一問より
http://aflac-duck.jp/aoi-ichimon/)
好きですね。昔は戸建てに住んでいたので庭に溜めてあった
水が凍ってました。小学生の時班長になると旗を持たされたんですが
手に持つ部分で凍りを突っついて割ってました。
タイトルは語感だけで決定。
長い間酩酊状態だったというか、まあ酒なんて飲んだこと無いけど
2月に入ってからの僕はどこかおかしかったと思う。
たぶん今もどこかおかしいと思う。でも昨日よりは今日はちょっとだけ
変わった気がする。
最近の自分を自己解析すると、結構ネガティブな日記ばかりを書き続けて
内省的で良いような気がするんですが、
実はあの日記、嘘でした。
嘘って言うのは嘘。本心です。全て本心です。
だけど、結局日記の前だけ素直だったんです。
そりゃ日記に向かうときは自分を見るときだから素直になりますよね。
だけど日記を閉じた後、結局反省を生かそうとする態度は無かった。
この日記を書いた後ももしかしたらそうなっちゃうかもしれない。
だけど、今日は長い酩酊状態から蛍を見た気がしたんです。
マッキーっぽいが(笑
今日の僕は1日変だった。突然槇原敬之の本。が読みたくなって
朗読した。本当に声を出して読んだんです。
読んだのはマッキーがデビューするまでのところ。
マッキーは3浪の末青学入学したらしいのですが、
そのくだりを読んで妙に自分を肯定してしまったんですね。
本にはどんなときも。の歌詞も添えられてて
歌ってみたら結構感動した。この歌には何度も助けられてるけど
改めて。
そして夜。おかしな僕はそのままおかしいままだらだらと時間を潰した。
押し入れの掃除なんかを不意に始めてみたり。
ここだけ書くともう奇人の域に達しているように思われるが
実は近々和室を改装する予定が入っているので一応まだ正常な行動です。
迷走中迷走中。テレビからいろいろなニュースが入ってくる。
新聞も書かさず読んでます。なぜか新聞だけはまじめに読んでます。
で、母がやってきて今後の話になった。
母は今更僕を責める真似はしなかった。それが逆に申し訳なく思った。
だけどなんかもう、どうしようもない自分がそこにいて
仕事で疲れた親がいて、僕は和室の片付けをやめて母の質問にいくつか答えた。
進学や教育について母がため息をつくのは、これが初めてじゃなかった。
高校受験だって僕はろくな態度や結果を母に示すことができなかった。
僕は結構後悔した、つもりだった。
だけど何一つ生かされることはなかったのです。
でもこうやって母の質問にマイナスの答えを用意している姿は
あのときからちらついていたような気はしたのです。
強がりで自分の体のことは自分がよくわかる、という人がいて
そういうのに似た感じです。そういう人は案外深刻な病が進行していることを
察している場合もあるんです。でも明示するのを恐れて
あえてそうしようという態度を取らない。
母は質問の答えに満足してなかった。
僕も僕が言う答えに満足はしてませんでした。
そしてとうとう僕は告白しました。
僕はいつかの日記で自分について努力を完成させたことがない
みたいなことをいったような事があったと思いますが
僕は昔から勉強は好きじゃなかったし、高校を出るときに
素直に推薦取っておけばよかったのかなぁって言いました。
それは絶対に言いたくない言葉でした。だけど言ってしまいました。
浪人させてもらってそんなこと言ったらたぶん地獄行きだと思います。
でもそう思ってしまったことを言いたかった。というかあふれてしまった。
母は慰めもせず叱責もせず。。。
相当親不孝なこといっているという自覚はあるんですがね。
まあここまできたものはしょうがないじゃないか、と言うようなことを
言われて今後の話は終わってしまった。
その後は雑談が続いた。
「皇族に生まれたかったかも」と言ったのは僕です。
「それは単なる逃げだと思う」
「そうかな」
「それに皇族だって楽な生活じゃないと思うけど」
「そう?衣食住に困ることはないし、進学にも困らない」
「でも“自由”がない」
「そんなこと無いと思うけどな」
「24h監視されてるみたいなものでしょ?何かしたらすぐ報道される・・・
私は嫌だね、そんなの。何したって報道されない庶民が一番」
「うーん」
「例え苦労したって(庶民のほうが)いいってば。自由はいい。
苦労する自由だってあるんだからさ」
苦労する自由?
なんかこの言葉を聞いたとき、やっぱり母ってすごいな、と思った。
苦労って強いられるもの、だと思ってたから。
今こうやって路頭に迷ってるのは全て自分の責任です。
自分が進路を適当に選んどけばこうなってないし
まじめにしてればこうなってない。でもどこかで
例えば日本の大学が諸外国のように入りやすかったら・・・とか
企業が学歴を求めなければ・・・という思いを持っているのも
やっぱり事実なんです。もちろんそんなこと、日記以外では言いません。
でもつまり自分が受験するのは、するんじゃなくて「せざるを得ない」と
思って自分をごまかしてきた気がするんです。
この苦労はしなきゃならないもの。
しかし、実はこんな苦労も自由があってこそ、というか
苦労をするもしないも自由、と言われるとなんだか不思議な気分です。
苦労と引き替えに(庶民と比較して)自由がない皇族。
苦労と自由が結びついている国民。
たしかに、自由の味を知っていると、苦労してでもこの生活を続けたいと思うかもね。
参政権も何もかも全て持ってる自分たちは、確かに
幸せなのかもしれない。もちろん皇族が不幸だって言ってるわけじゃないですよ。
やっぱり母が言うように苦労の途中で「皇族に生まれたかった」
などという僕はとんでもない不届き者って事です。
母の説明は憲法みたいで感激した。
自由が守られている憲法だけど義務も課せられているものね〜。
そうだ。自分で苦労を選んだんだ。そうだ。
そしてその後話はずれて母の母、すなわち祖母の話になった。
僕の祖母は僕が生まれる結構前に亡くなっている。
何度か墓参りの記述をしたことがあるので知っている方は
知っているかも。僕は祖母を知らない。
母の高校時代の話から(元々は僕の勉強しなさ加減をさかのぼっていた)
そんな風になったのだが、実は改まって祖母の話を聞いたことがなかったので
いろいろと質問した。
祖母と祖父は対極的に性格だったらしいことは聞かされていたが
細かな話を聞くとなるほどな、と思った。
母の話を聞く限りだと、明るい人だったらしい。
物事を白黒つける性分だったというから、母にきっちり
その性質が受け継がれたらしい。
僕はそんな話を聞いて急に泣き出しそうになってしまった。
たぶんこんなあやふやじゃわからないと思いますけど
母の大切な思い出みたいなので残念ながら細かく言えません。
僕はまあなにをやっていたんだ、と思い知らされました。
どんな説教よりも効きました。情けなかった。
母も回顧が行き過ぎたと見えて、風呂に入る、と入ってしまったが
僕はそれを良い機会に部屋でまた泣いてしまった。
祖母や母の話は特別不幸だ、という訳でもなかったのだが
妙に祖母が亡くなってしまうまでの過程が僕の中にリアルに
思い浮かびまして。。。というのも僕は母の実家で13歳まで
育ったので、背景は完璧に思い浮かべることができるわけです。
すごくリアルに感じて、そして実は今まで特別な念をもって
手を合わせたことがあまりなかった祖母に対して
急にいろいろと気持ちがわいてきたのです。
僕は今日までの自分を情けなく思いました。
実は今も気持ちは晴れてはいないんですが、
でも何歩か、幾分か悪い自分を引き離すことはできた気がします。
過去を追求すると言うことは実は今まではあまりしませんでした。
決して関心が無いわけではないのですが、うちはいろいろと
ありまして、深追いすると母を苦しめる気がしていたからです。
でもいつかはいろいろ知るんでしょうね。たぶん。
その時受け止められる大人になっているのかな。不安です。
暗いっぽい話ばかり書いてすみません。
ただ日記だから、やっぱり書いて置いた方が良いのかな、と思いまして。
僕と親との関係は良好ですから安心してください。
文面ほど僕も落ち込んじゃいません。
押し入れ掃除の時にたまたま出てきたfeelというCDを聴きながら
日記を書いているせいかマイナス加減が強くなりすぎたかな(笑
神々の詩って良いですよね。あば〜なか〜あな〜あ〜ぽ〜♪
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母と僕の会話中マミはずっとティッシュ箱で遊んでました。
しかも中身入りです。
もう怒る気にもなれなかった、別にいいよ、ティッシュくらい。
でもこうやって家族のそばにいて遊ぶマミは愛しいです。
きちんとみんな揃ってるのが笑える。
マミは無関心のようで話を聞いているようで、ティッシュを
バラバラにぶちまけていました。
実はマミはその場の雰囲気を必要以上にマイナスにしないために
重要な役だったりします。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「水たまりに張った氷を割るのは、好きですか?」
(あおいさんに一日一問より
http://aflac-duck.jp/aoi-ichimon/)
好きですね。昔は戸建てに住んでいたので庭に溜めてあった
水が凍ってました。小学生の時班長になると旗を持たされたんですが
手に持つ部分で凍りを突っついて割ってました。
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