e-mail [2083号]

2007年11月1日
本日の日記

秋の夜長単発随想日記

秋も深まり冬も近づいてくると、電気店では面白いものを目にすることができます。
それは書店にもあり、山積みになっている年賀状ソフトや書籍。
これだけデジタルになり、年賀状ではなくメールを使うと答える割合も増えつつあるのに
どうしてこんなに大量の年賀状ソフトや素材集を見ることができるのでしょうか。

そもそも考えてみなければならないことは、e-mailが手紙の代わりになるのかという事です。
私たちは日常的に「メール送った」と言いますが、mailという言葉で辞書をひっくり返すと、郵便(制度)郵便物、郵便配達とあり、
どこにも「手紙」の文字はありません。

パソコンや携帯電話が苦手な方にメールを説明するときに
「手紙のようなものだと思ってください」と説明することがありますが、
きちんと言えば「電子化された郵便制度だと思ってください」
といった方が良いみたいです━━━━。
些細な冗談ですが、実は「手紙のようなものだと思ってください」
という言葉も、なぜ年賀状ソフトが売れるのかのヒントになっていると思います。

つまり、私たちは「メール」を「手紙」のようにとらえているつもりでも
「メール」は「手紙」的なものであり、「手紙」ではない
という意識があるのだと思います。メールとはすなわち手紙だ、
と断言した人を見たことがありませんが、手紙にはきちんと「letter」という
英語が用意されています。e-mailの考案者が「e-letter」と名付けなかったのも、
「mail≠letter」と思ったからなのでしょう。

letterには「文字」という訳もあって、もっといえば「手書きの文字」
という意識が含まれているそうです。
特別に意識せずとも、私たちはメールが単に電子化された郵便制度でしかないことを意識していたんでしょうね。

こう考えると人々がわざわざ年賀状ソフトをパソコンに入れる理由がわかります。
やはり年賀状をメールで送っても、手紙に込められた意味までを送ることはできず、
本質の違いを認め、それを発送するために年賀状をパソコンで作るのでしょう。

冷静に考えると、実に奇妙な行為だと思います。
パソコンで年賀状を作るのは。
宛名印刷ならまだわかりますが、本文まで全てプリンタ任せなら、
ましてやそこにメールアドレスを添えておくなら
jpeg画像で送ったって何の変わりもないはずですから。

(出典:「e-年賀状を出す人々」)

今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日のマミはいつもどおり寝ておりました。
寝ているところだけしか見なかったという方が正しいかも。

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