消えた○○ [2026号]
2007年9月3日本日の日記
消えた○○問題といえば、この○には年金と入る方が多いのでしょう。
きちんと記録されているはずの記録が無かったり、
思わぬ登録をされている場合があるという年金問題。
実際その当事者になってみるとびっくりすると思いますよ。
今日は久しぶりに予備校へ。2学期(?)が始まるから。
ついでに模擬試験の結果ももらったんだが・・・。
真田君
「どうしました?」
僕
「記録がない・・・」
合否判定欄には『W』と書いてあった。だ、Wですかぁ!(’A`;;)
ま、まだDとかなら救われるが(か?)、Wじゃ諦めないとな・・・。
真田君
「どういうことです?」
僕
「さあ僕にも何の事やら・・・」
よくよく見ると僕は真正文系なのに数学と化学を答えたことになってる!
僕
「いつから理系になったんだろう」
真田君
「あ!英語の結果が出てないじゃないですか!」
・・・ほんとだ。
事務室の事務員さんにお問い合わせ。
事務
「うーん、なんでだろう・・・?用紙を間違えませんでしたか」
僕
「いやあ、たぶん間違えてないと思いますよ」
1ヶ月近く前の話。絶対と断言できるほどの記憶など無い。
事務
「うーん・・・」
若造君でしたが、彼はかなり困った顔してました。
その結果の用紙か不自然だったのは、理系科目の結果が出ているのは当然ですが、
その正誤についても、機械的ではなく人為的、つまり
誰かの回答っぽかったのです。
(パソコン上の不具合であれば×だけだったり、○だけだったり
すると思うので・・・)
そのうち別の事務員さんが現れて
別の事務
「あー・・・回答見てみようか?」
僕
「はい」
エマージェンシー!エマージェンシー!
事務室がにわかに慌てはじめてきた。
僕
「うーん、消えた模擬結果問題だね・・・
・・・あの、年金問題のパロディです」
真田君
「ああ・・・」
僕
「もしかしたら基礎受験番号が複数あって統合しないといけないのかも」
じゃあ名寄せから頼むよ・・・などと冗談を言っている場合ではないが。
別の事務
「うーん、回答したんだよね?」
僕
「はい」
別の事務
「じゃあちょっと時間大丈夫かな?解答用紙探してくるから!」
そういうと事務室からどこかに消えた事務の方。
僕と真田君は廊下で待つことにした。
僕
「いやあ・・・まったく」
真田君
「あなたばかりそう言うことが起こりますよね」
僕
「そう?」
などと雑談していると、僕の後ろに掲示してあった大きな紙が
剥がれて僕に覆い被さってくる。
僕
「うは!な、・・・紙か・・・こりゃー絶対帰り脱線するな!」
なんかついてない(´・ω・`)
待つこと十数分。さっきの人が慌てて戻ってくる。
さっきの人
「あった!あったんだよ!え゛ーなんでー!?」
・・・すみませんねぇ。
結局僕の英語の回答は予備校が採点センターへ未提出だったらしい。
今日ダッシュでセンターに届けるけど間に合わなかったら
結果はOctoberを待て!といわれた。
僕
「はあ・・・そうですか、じゃあよろしくお願いします・・・」
お手数をおかけしましたとも、大変申し訳ありませんとも
言われることはなかったが(申し訳ない・・・と軽く言ったけどさ)
なんだかなぁ・・・。
ま、結果が先に伸びれば現実を直視しないだけシアワセとも言えるけど、
結局模試の結果がカンフル剤になったりするわけで、
明らかに下がってるやる気をどう立て直すか・・・。
あーあ。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もお座布団の上で寝ておりました。
あとは、天袋に駆け上ったりしたり・・・。
元気な7歳だな。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「卒業文集には、どんなことを書きましたか?」
(宮崎あおいさんに1日1問より
http://waltz2.aflac-duck.jp/)
小学校の時には3年間の思い出を(日光に行ったとかそういうやつ)
中学校の時には文集が無く
高校の時には・・・はずかしい!
なんかねー偉そうなことかいてたね。
本当は高校の時の文集を引用しようと思ったけど
めんどくさいから2003年8月22日に書いた「意見文」をどうぞ。
これは中学校3年生の時の夏休みの宿題でした(意見文か読書感想文を選択できて、僕は意見文にした)
これを提出したかどうかの記憶はないね。
「夏休み」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
8月の終わりに近づいてくると、毎年私は憂鬱になりながらも焦りだす。
何に焦りだすかといえば
「うえー、まだ宿題終わってない・・・」
そう、夏休みの宿題である。
大抵の人は悩んだはずだ。
「数学は解けばよし、英語も大丈夫だ・・・国語の作文はどうしよう」
私は、何度も何度も苦しんでいる。読書感想文とやらで。
新聞を見ると、最近の若者は本を読まないらしい。実は私もその一人である。
ただ、文字を読むこと自体は嫌いではない。媒体がインターネットに変わっただけである。
はっきりと言おう、私は、読書感想文は「くだらない」と思う。
何故かといえば、ある日、私は近所の書店へ出かけた。
入り口近くにたくさんの本が積み上げられていて、表紙には「課題図書」なんてシールが
貼ってあったりする。
同じくらいの年の人たちが普段手にしない物語の本を一生懸命立ち読みして
読書感想文の「ネタ」を探している。
へりくつを言うようだが、読書感想文はきっと本屋が考え出したのだ。と私は思っている。
だって他人の感想文など読んで面白いのだろうか?
国語の先生は、どういうつもりでみんなが書いた感想文を読んでいるのだろうか?
感想文を読んで喜ぶのは、その本の著者ぐらいであろう。
それに、殆どの感想文は暗黙の「ひな形」に則っている。
まず、書き始めは「私は〜」であろう。そして、「〜では感動した」などと感動文である。
自分で書いているならまだいい。
嘆く子供の手伝いをして、翌日寝不足で出勤する親だっているはずだ。
こんな夏休みの「行事」化しているなら、強制で出すなんて事はやめて、自主的に出すようにするか、いっその事やめた方がいいのでは、とも思う。
大体、普段長文などを書かない人に、「作文3枚」なんて酷な話だ。
この作文も10枚以上であるが、私は普段、インターネット上のWebサイトで「Weblog(関心のあるニュースや出来事などを日記形式で綴ってくページの事)」形式のページを更新している。大体平均で1000〜1500文字程度を書いているので、それなりに長文を書くことには慣れているつもりである。
もしも、読書感想文を続けるとして、内容の質を上げたいのなら、コンピュータで作成された「作文」も認めるようにしてはどうだろうか。
学校にも、税金の無駄にも思えるほど高機能なコンピュータがあったりするので、学校のサーバ(サービスを提供するシステムの事)に個人個人のアカウント(サーバに接続する権利の事)を作り、家にインターネットがある家庭では、ブラウザ(インターネットを見るためのソフト)から文章を送信する。
もしも、インターネットがないとしても、携帯くらいはあるはずだ。
携帯からメールをサーバに送ればいい。この話はなんだか夢物語のように聞こえなくもないが、実は、素人でも実践しようと思えばこれくらいのシステムは構築できる。
字も、きれいだから先生も苦労しないし、先生の自宅にインターネットがあるなら、
サーバから一人一人のデータを呼び出して自宅で採点できる。
総合的な学習の時間で、皆がよく取り上げる「環境問題」の問題解決にも貢献するはずだ。
何故ならば、「紙」を使わなくなるからだ。これは言うまでもないが・・・。
文章がコンピュータで作成されるようになっても、本の売り上げが落ちる心配はない。
結局は本屋に行って本を買わなければ、読書感想文にはならないからだ。
だが、「書くのがめんどくて嫌」という気分からは解放されるはずだから、文の質もきっと
伸びるだろう。
最近は、「自由研究」が変わってきたらしい。
ニュースを見たときに思わず苦笑してしまったのだか
「夏休み宿題 業者に“外注” すべてお任せキャンプ盛況」らしいのだ
ニュースの内容は、要するに自由研究の「ネタ」になるキャンプを実施したり、完成すれば作品になる工作教室をしたりするビジネスが盛況であるということを報じている。
その記事の中で、教育行政に詳しい東京大の汐見稔幸教授の言葉が気になった。
「自由研究の仕方を普段から学校で指導しないで、夏休みにやれというのがそもそも無理。子供も親も戸惑うばかりで、結局多少出費しても、形だけ整えればいいと『外注』が盛んになるのです」と話す
だから「情報と経済力を持っている親が勝ち、となる。そんな夏休みの自由研究なら、ない方がいい」と言う。(Yahoo!ニュースより引用)
これは私もそう思う。同感だ。
夏休みの宿題の「構造改革」が迫られているのではないか、と私は思います。
消えた○○問題といえば、この○には年金と入る方が多いのでしょう。
きちんと記録されているはずの記録が無かったり、
思わぬ登録をされている場合があるという年金問題。
実際その当事者になってみるとびっくりすると思いますよ。
今日は久しぶりに予備校へ。2学期(?)が始まるから。
ついでに模擬試験の結果ももらったんだが・・・。
真田君
「どうしました?」
僕
「記録がない・・・」
合否判定欄には『W』と書いてあった。だ、Wですかぁ!(’A`;;)
ま、まだDとかなら救われるが(か?)、Wじゃ諦めないとな・・・。
真田君
「どういうことです?」
僕
「さあ僕にも何の事やら・・・」
よくよく見ると僕は真正文系なのに数学と化学を答えたことになってる!
僕
「いつから理系になったんだろう」
真田君
「あ!英語の結果が出てないじゃないですか!」
・・・ほんとだ。
事務室の事務員さんにお問い合わせ。
事務
「うーん、なんでだろう・・・?用紙を間違えませんでしたか」
僕
「いやあ、たぶん間違えてないと思いますよ」
1ヶ月近く前の話。絶対と断言できるほどの記憶など無い。
事務
「うーん・・・」
若造君でしたが、彼はかなり困った顔してました。
その結果の用紙か不自然だったのは、理系科目の結果が出ているのは当然ですが、
その正誤についても、機械的ではなく人為的、つまり
誰かの回答っぽかったのです。
(パソコン上の不具合であれば×だけだったり、○だけだったり
すると思うので・・・)
そのうち別の事務員さんが現れて
別の事務
「あー・・・回答見てみようか?」
僕
「はい」
エマージェンシー!エマージェンシー!
事務室がにわかに慌てはじめてきた。
僕
「うーん、消えた模擬結果問題だね・・・
・・・あの、年金問題のパロディです」
真田君
「ああ・・・」
僕
「もしかしたら基礎受験番号が複数あって統合しないといけないのかも」
じゃあ名寄せから頼むよ・・・などと冗談を言っている場合ではないが。
別の事務
「うーん、回答したんだよね?」
僕
「はい」
別の事務
「じゃあちょっと時間大丈夫かな?解答用紙探してくるから!」
そういうと事務室からどこかに消えた事務の方。
僕と真田君は廊下で待つことにした。
僕
「いやあ・・・まったく」
真田君
「あなたばかりそう言うことが起こりますよね」
僕
「そう?」
などと雑談していると、僕の後ろに掲示してあった大きな紙が
剥がれて僕に覆い被さってくる。
僕
「うは!な、・・・紙か・・・こりゃー絶対帰り脱線するな!」
なんかついてない(´・ω・`)
待つこと十数分。さっきの人が慌てて戻ってくる。
さっきの人
「あった!あったんだよ!え゛ーなんでー!?」
・・・すみませんねぇ。
結局僕の英語の回答は予備校が採点センターへ未提出だったらしい。
今日ダッシュでセンターに届けるけど間に合わなかったら
結果はOctoberを待て!といわれた。
僕
「はあ・・・そうですか、じゃあよろしくお願いします・・・」
お手数をおかけしましたとも、大変申し訳ありませんとも
言われることはなかったが(申し訳ない・・・と軽く言ったけどさ)
なんだかなぁ・・・。
ま、結果が先に伸びれば現実を直視しないだけシアワセとも言えるけど、
結局模試の結果がカンフル剤になったりするわけで、
明らかに下がってるやる気をどう立て直すか・・・。
あーあ。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もお座布団の上で寝ておりました。
あとは、天袋に駆け上ったりしたり・・・。
元気な7歳だな。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「卒業文集には、どんなことを書きましたか?」
(宮崎あおいさんに1日1問より
http://waltz2.aflac-duck.jp/)
小学校の時には3年間の思い出を(日光に行ったとかそういうやつ)
中学校の時には文集が無く
高校の時には・・・はずかしい!
なんかねー偉そうなことかいてたね。
本当は高校の時の文集を引用しようと思ったけど
めんどくさいから2003年8月22日に書いた「意見文」をどうぞ。
これは中学校3年生の時の夏休みの宿題でした(意見文か読書感想文を選択できて、僕は意見文にした)
これを提出したかどうかの記憶はないね。
「夏休み」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
8月の終わりに近づいてくると、毎年私は憂鬱になりながらも焦りだす。
何に焦りだすかといえば
「うえー、まだ宿題終わってない・・・」
そう、夏休みの宿題である。
大抵の人は悩んだはずだ。
「数学は解けばよし、英語も大丈夫だ・・・国語の作文はどうしよう」
私は、何度も何度も苦しんでいる。読書感想文とやらで。
新聞を見ると、最近の若者は本を読まないらしい。実は私もその一人である。
ただ、文字を読むこと自体は嫌いではない。媒体がインターネットに変わっただけである。
はっきりと言おう、私は、読書感想文は「くだらない」と思う。
何故かといえば、ある日、私は近所の書店へ出かけた。
入り口近くにたくさんの本が積み上げられていて、表紙には「課題図書」なんてシールが
貼ってあったりする。
同じくらいの年の人たちが普段手にしない物語の本を一生懸命立ち読みして
読書感想文の「ネタ」を探している。
へりくつを言うようだが、読書感想文はきっと本屋が考え出したのだ。と私は思っている。
だって他人の感想文など読んで面白いのだろうか?
国語の先生は、どういうつもりでみんなが書いた感想文を読んでいるのだろうか?
感想文を読んで喜ぶのは、その本の著者ぐらいであろう。
それに、殆どの感想文は暗黙の「ひな形」に則っている。
まず、書き始めは「私は〜」であろう。そして、「〜では感動した」などと感動文である。
自分で書いているならまだいい。
嘆く子供の手伝いをして、翌日寝不足で出勤する親だっているはずだ。
こんな夏休みの「行事」化しているなら、強制で出すなんて事はやめて、自主的に出すようにするか、いっその事やめた方がいいのでは、とも思う。
大体、普段長文などを書かない人に、「作文3枚」なんて酷な話だ。
この作文も10枚以上であるが、私は普段、インターネット上のWebサイトで「Weblog(関心のあるニュースや出来事などを日記形式で綴ってくページの事)」形式のページを更新している。大体平均で1000〜1500文字程度を書いているので、それなりに長文を書くことには慣れているつもりである。
もしも、読書感想文を続けるとして、内容の質を上げたいのなら、コンピュータで作成された「作文」も認めるようにしてはどうだろうか。
学校にも、税金の無駄にも思えるほど高機能なコンピュータがあったりするので、学校のサーバ(サービスを提供するシステムの事)に個人個人のアカウント(サーバに接続する権利の事)を作り、家にインターネットがある家庭では、ブラウザ(インターネットを見るためのソフト)から文章を送信する。
もしも、インターネットがないとしても、携帯くらいはあるはずだ。
携帯からメールをサーバに送ればいい。この話はなんだか夢物語のように聞こえなくもないが、実は、素人でも実践しようと思えばこれくらいのシステムは構築できる。
字も、きれいだから先生も苦労しないし、先生の自宅にインターネットがあるなら、
サーバから一人一人のデータを呼び出して自宅で採点できる。
総合的な学習の時間で、皆がよく取り上げる「環境問題」の問題解決にも貢献するはずだ。
何故ならば、「紙」を使わなくなるからだ。これは言うまでもないが・・・。
文章がコンピュータで作成されるようになっても、本の売り上げが落ちる心配はない。
結局は本屋に行って本を買わなければ、読書感想文にはならないからだ。
だが、「書くのがめんどくて嫌」という気分からは解放されるはずだから、文の質もきっと
伸びるだろう。
最近は、「自由研究」が変わってきたらしい。
ニュースを見たときに思わず苦笑してしまったのだか
「夏休み宿題 業者に“外注” すべてお任せキャンプ盛況」らしいのだ
ニュースの内容は、要するに自由研究の「ネタ」になるキャンプを実施したり、完成すれば作品になる工作教室をしたりするビジネスが盛況であるということを報じている。
その記事の中で、教育行政に詳しい東京大の汐見稔幸教授の言葉が気になった。
「自由研究の仕方を普段から学校で指導しないで、夏休みにやれというのがそもそも無理。子供も親も戸惑うばかりで、結局多少出費しても、形だけ整えればいいと『外注』が盛んになるのです」と話す
だから「情報と経済力を持っている親が勝ち、となる。そんな夏休みの自由研究なら、ない方がいい」と言う。(Yahoo!ニュースより引用)
これは私もそう思う。同感だ。
夏休みの宿題の「構造改革」が迫られているのではないか、と私は思います。
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