さ、マキ語りですよ [1973号]
2007年7月11日本日の日記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
マッキー(槇原敬之)の歌に、
「図書館で見かけてるあの子に片思い〜」
(困っちゃうんだよなぁ(PHARMACY)より)
というのがありまして、僕も明日から図書館通いを
しようかなと思ってます。普通は予備校の自習室なんでしょうけど
埼玉の田舎から学校のある豊島区まで行くのはめんどくさいので。
ただ、賢い高校生が席をとっているかもしれないから
頭の痛いところ。地元には数カ所図書館があるが
勉強用に開放されているのは1カ所のみ。ケチな街だな
(↑立地の問題でそうなっているらしい・・・でっかい図書館を作ってくれ)
午前中からいくべきなのか(すると昼はどうしようか)
午後からで席が取れるのか・・・
自宅だと集中できなくはないんだけど、できないな(’A`)
というか息がつまるというか・・・まあとにかく
するぞっていう気分になれない。
愚痴はともかく、今日はマッキーの新曲を精解。
(歌詞はとくダネ!の字幕から)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ほどけた靴ひもを直そうと
君がしゃがんだら
目の前に緑色の道が
続いてた
それぞれがちゃんと一人で
悩んだと分かった
ダイニングを出た僕らに
湿った夏の夜風
よかった この世界は
サイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだよ
君といたからだ
☆repeat
わからない事だらけでも
ホントの事だけ探していこう
そんな気持ちを誰もが
きっと青春と呼ぶのだろう
まっすぐにまっすくに
伸びるこの緑色の道を
歩きながら続いていく
僕らのGREEN DAYS
そこにはないと決めつけて
見ようとしなかった場所に
大切な宝物があると気づいた
そこにはないと決めつけて
見ようとしなかった
自分の心に見つけた
暗闇に灯をともすんだ
よかったこの世界は捨てた
ものじゃないと思いながら
これからも生きていける
気がする 君といるならば
わからない事だらけでも
ホントの事だけ探していこう
そんな気持ちを誰もが
きっと青春と呼ぶのだろう
少し汗ばんだT-Shirtsで(←oh,「SPY」だねぇ〜)
抱き合い肩を叩きながら
明日会えないとしても
僕らは言う「また会おう」と
(☆repeat)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この歌の解釈はいろいろとできると思います。
恋愛ソングだ!と言えなくもないと思います。
また単純に青春のころの気持ちを大事にしなさいという
歌にも聞こえます。あるいは「三人」のように
随想的なのかもしれない。
僕は、僕の主観ですけど、僕は若い人たちの集団があって
その一人の女の子と恋人同士であって、
その君を通じて「この世界はサイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだ」りして、そこから
青春のはかなさを感じ取っていたり、この世界にはまだまだ
素敵なものがたくさんあるのだということに気づいて
歩いていきたい、という風に歌っているように感じました。
どんなことでも一生懸命になりながら歩きたいと・・・
少し汗ばんでるTシャツがそのことを物語っているのではないでしょうか。
年取ってから賢明に汗をかくのはあまりないですからね
(↑趣味でスポーツをしてるならともかく)
利を生まないことに一生懸命になる大人は少ない。
そこまで思ってマッキーが書いているわけはないと思うけど(笑
なんとなくそんな気がします。
青春、というと思い出すのが蝉(cicada)の青春ですが
こっちで歌われている青春は、青春期独特の反発心を歌っている
歌のような気がします。
「バカみたい」という言葉が2度出てきて、1度目と2度目では
意味が違うように僕は感じます。
ビューラーをかけてる君を鏡越しに見てて
一緒に口を開けてるから女の子に「バカみたい」
と言われてるんだと思ってましたけど、そうじゃなくて
実際はなんて言うか形だけが横行している社会を
バカみたいと言っているのではないかと・・・と書くと大げさですけど
欽八先生に出てくるかわいげのある反社会的思想というか・・・
きわめて短い言葉で言うと「ずるい大人になりたくない!」でしょうか(笑
サラリーマンになりたくないとか、歯車になりたくないとか
青春の時に一度は思って事がありそうな・・・それを
強く思えばバイクも盗むし、窓ガラスも割るんです。
(少々古いな)
一度目の「バカみたい」はそういう反社会的な気持ち、
そのまま大人の世界に飲み込まれたくないし、そういう世界を
「バカみたい」と思っているのかな、と。
そう考えると
「そう思えるだけまだマシなのかな
大切なものはすぐ捨てて
どうでもいいものを守る人たちより」
という歌詞がしっくり来るような気がする。
社会保険庁の人たちに聞かせてあげたいですね!
大切なものっていうのは、青春の頃に思ってた信念とか夢でしょう。
そういうのを簡単に捨てて、バカみたいなことを守る。
小さな世間体とか、自分の地位だけを守るために
大切な何かを捨ててしまう・・・。
で、「受験も選挙も結婚も・・・(略)
せめて この僕と君が
あの日 誓い合った
気持ち 間違いだとしても
終わるまで愛と信じよう」
ですが、要は形式にこだわる人たち、というかもっと
単純に大人っていっても良いかもしれませんが、それは
信じられないから、僕たちの愛を信じようとか言ってるわけです(笑
ただ、これだけで終わる歌だとただの中2病ですけど、
この考えの浅はかさを、この主人公の彼女は見抜いてます。
それが2度目の「バカみたい」なんです。
そして主人公もその考えが浅はかであることに
気づいているのです。だから
「言われなくても
自分でわかってるよ」
と言っているのだと思います。
そうすると
「はねた髪の毛と
はねた気持ち何とかしたいから」
に繋がるんですね。マッキーの歌詞は面白い。
嘘という泥の付いた靴を履いてるなら
裸足になればいい・・・というのは、やっぱり現実を
見ろ、というか、こうやって僕は正しいんだとか
僕はああなりたくないとかって言う結局は
それになじめない自分を正当化するための嘘みたいなものでしょうから
そういうのよりも単純に素足になったほうが
心もさっぱりするということでしょうか、少々無理な
解釈かもしれませんけど(笑
で、GREEN DAYSの話からだいぶそれましたが、
蝉の頃より成長した感じが受け取れますね。
この2曲が関連している(アンサーソングとか)とは思わないけど
よかった この世界は
サイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだよ
君といたからだ
に出てくる「君」は「バカみたい」といった君なのかもしれませんねぇ・・・。
「この世界に絶望するほど世界みてねーだろバーカ!」みたいな。
GREEN DAYSはかなり年取ってから青春を振り返った歌にも聞こえますけど。
卒業式に聴いてもいいかもね。
「明日会えないとしても、僕らは言う「また会おう」と・・・」
うん、この曲はいいね。確かに聴いただけで情景が
浮かび上がってくるとか言われるマッキー的な歌詞からすると
物足りなさを感じてしまうのかもしれないけど
でもああ、青春だね、という感じがする(笑
ひどい感想文で申し訳ないけど、まあ聴いてみてください。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
足の方のケガがだいぶよくなってきたようで・・・
気にしているそぶりも見せなくなりました。
いつも通り壁を蹴って廊下の端でターンしていたし、
大丈夫そうかな・・・。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「自分で撮った写真はちゃんと整理してますか?」
(宮崎あおいさんに1日1問より
http://waltz2.aflac-duck.jp/)
あおいタンと一緒。しなきゃしなきゃと思いつつ全くしてないです(´・ω・`)
適当な人なので・・・
ただ撮った写真は全てデジカメのデータなので
スマートメディアがいっぱいになってパソコンに移すときに
そのまま(2003年3月〜2004年5月間に撮影、というように)フォルダを作ってます。
だいたい関連性があるのでぐちゃぐちゃになっているということはないですね。
全てサムネイルで確認できるようにしているし。
Q and A
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Q:最近どうして「マッキー」を「マッキー(槇原敬之)」と書くのですか。
A:西山茉希さんが台頭してきたからです。
今後は槇原敬之と前置きがない場合で、一度目のマッキーには(槇原敬之)と書くつもりです。
西山茉季さんきれいな方ですよね〜、うるるとさららのCMが好きです。
まあこれは真田君にも述べたことなんですが、
モデルさんは完璧なプロポーションだからどうも近寄りがたくて(高嶺の花)
ファンになれないと。
親近感がわくといったら失礼かもしれないが
不完全な宮崎あおいが好きです。不完全な中島美嘉が好きです。
もうね、中島美嘉が怖いとか言われるのを見る度に
ゾクゾクしますね〜ぽまえら分かってない、美嘉ちゃんの美しさを分かってないと!
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マッキー(槇原敬之)の歌に、
「図書館で見かけてるあの子に片思い〜」
(困っちゃうんだよなぁ(PHARMACY)より)
というのがありまして、僕も明日から図書館通いを
しようかなと思ってます。普通は予備校の自習室なんでしょうけど
埼玉の田舎から学校のある豊島区まで行くのはめんどくさいので。
ただ、賢い高校生が席をとっているかもしれないから
頭の痛いところ。地元には数カ所図書館があるが
勉強用に開放されているのは1カ所のみ。ケチな街だな
(↑立地の問題でそうなっているらしい・・・でっかい図書館を作ってくれ)
午前中からいくべきなのか(すると昼はどうしようか)
午後からで席が取れるのか・・・
自宅だと集中できなくはないんだけど、できないな(’A`)
というか息がつまるというか・・・まあとにかく
するぞっていう気分になれない。
愚痴はともかく、今日はマッキーの新曲を精解。
(歌詞はとくダネ!の字幕から)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ほどけた靴ひもを直そうと
君がしゃがんだら
目の前に緑色の道が
続いてた
それぞれがちゃんと一人で
悩んだと分かった
ダイニングを出た僕らに
湿った夏の夜風
よかった この世界は
サイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだよ
君といたからだ
☆repeat
わからない事だらけでも
ホントの事だけ探していこう
そんな気持ちを誰もが
きっと青春と呼ぶのだろう
まっすぐにまっすくに
伸びるこの緑色の道を
歩きながら続いていく
僕らのGREEN DAYS
そこにはないと決めつけて
見ようとしなかった場所に
大切な宝物があると気づいた
そこにはないと決めつけて
見ようとしなかった
自分の心に見つけた
暗闇に灯をともすんだ
よかったこの世界は捨てた
ものじゃないと思いながら
これからも生きていける
気がする 君といるならば
わからない事だらけでも
ホントの事だけ探していこう
そんな気持ちを誰もが
きっと青春と呼ぶのだろう
少し汗ばんだT-Shirtsで(←oh,「SPY」だねぇ〜)
抱き合い肩を叩きながら
明日会えないとしても
僕らは言う「また会おう」と
(☆repeat)
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この歌の解釈はいろいろとできると思います。
恋愛ソングだ!と言えなくもないと思います。
また単純に青春のころの気持ちを大事にしなさいという
歌にも聞こえます。あるいは「三人」のように
随想的なのかもしれない。
僕は、僕の主観ですけど、僕は若い人たちの集団があって
その一人の女の子と恋人同士であって、
その君を通じて「この世界はサイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだ」りして、そこから
青春のはかなさを感じ取っていたり、この世界にはまだまだ
素敵なものがたくさんあるのだということに気づいて
歩いていきたい、という風に歌っているように感じました。
どんなことでも一生懸命になりながら歩きたいと・・・
少し汗ばんでるTシャツがそのことを物語っているのではないでしょうか。
年取ってから賢明に汗をかくのはあまりないですからね
(↑趣味でスポーツをしてるならともかく)
利を生まないことに一生懸命になる大人は少ない。
そこまで思ってマッキーが書いているわけはないと思うけど(笑
なんとなくそんな気がします。
青春、というと思い出すのが蝉(cicada)の青春ですが
こっちで歌われている青春は、青春期独特の反発心を歌っている
歌のような気がします。
「バカみたい」という言葉が2度出てきて、1度目と2度目では
意味が違うように僕は感じます。
ビューラーをかけてる君を鏡越しに見てて
一緒に口を開けてるから女の子に「バカみたい」
と言われてるんだと思ってましたけど、そうじゃなくて
実際はなんて言うか形だけが横行している社会を
バカみたいと言っているのではないかと・・・と書くと大げさですけど
欽八先生に出てくるかわいげのある反社会的思想というか・・・
きわめて短い言葉で言うと「ずるい大人になりたくない!」でしょうか(笑
サラリーマンになりたくないとか、歯車になりたくないとか
青春の時に一度は思って事がありそうな・・・それを
強く思えばバイクも盗むし、窓ガラスも割るんです。
(少々古いな)
一度目の「バカみたい」はそういう反社会的な気持ち、
そのまま大人の世界に飲み込まれたくないし、そういう世界を
「バカみたい」と思っているのかな、と。
そう考えると
「そう思えるだけまだマシなのかな
大切なものはすぐ捨てて
どうでもいいものを守る人たちより」
という歌詞がしっくり来るような気がする。
社会保険庁の人たちに聞かせてあげたいですね!
大切なものっていうのは、青春の頃に思ってた信念とか夢でしょう。
そういうのを簡単に捨てて、バカみたいなことを守る。
小さな世間体とか、自分の地位だけを守るために
大切な何かを捨ててしまう・・・。
で、「受験も選挙も結婚も・・・(略)
せめて この僕と君が
あの日 誓い合った
気持ち 間違いだとしても
終わるまで愛と信じよう」
ですが、要は形式にこだわる人たち、というかもっと
単純に大人っていっても良いかもしれませんが、それは
信じられないから、僕たちの愛を信じようとか言ってるわけです(笑
ただ、これだけで終わる歌だとただの中2病ですけど、
この考えの浅はかさを、この主人公の彼女は見抜いてます。
それが2度目の「バカみたい」なんです。
そして主人公もその考えが浅はかであることに
気づいているのです。だから
「言われなくても
自分でわかってるよ」
と言っているのだと思います。
そうすると
「はねた髪の毛と
はねた気持ち何とかしたいから」
に繋がるんですね。マッキーの歌詞は面白い。
嘘という泥の付いた靴を履いてるなら
裸足になればいい・・・というのは、やっぱり現実を
見ろ、というか、こうやって僕は正しいんだとか
僕はああなりたくないとかって言う結局は
それになじめない自分を正当化するための嘘みたいなものでしょうから
そういうのよりも単純に素足になったほうが
心もさっぱりするということでしょうか、少々無理な
解釈かもしれませんけど(笑
で、GREEN DAYSの話からだいぶそれましたが、
蝉の頃より成長した感じが受け取れますね。
この2曲が関連している(アンサーソングとか)とは思わないけど
よかった この世界は
サイテーだと誤解したままで
今日一日が終わらずにすんだよ
君といたからだ
に出てくる「君」は「バカみたい」といった君なのかもしれませんねぇ・・・。
「この世界に絶望するほど世界みてねーだろバーカ!」みたいな。
GREEN DAYSはかなり年取ってから青春を振り返った歌にも聞こえますけど。
卒業式に聴いてもいいかもね。
「明日会えないとしても、僕らは言う「また会おう」と・・・」
うん、この曲はいいね。確かに聴いただけで情景が
浮かび上がってくるとか言われるマッキー的な歌詞からすると
物足りなさを感じてしまうのかもしれないけど
でもああ、青春だね、という感じがする(笑
ひどい感想文で申し訳ないけど、まあ聴いてみてください。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
足の方のケガがだいぶよくなってきたようで・・・
気にしているそぶりも見せなくなりました。
いつも通り壁を蹴って廊下の端でターンしていたし、
大丈夫そうかな・・・。
嗚呼ネタないね、苦肉の策・・・『勝手に僕も答える』
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きょうのしつもん
「自分で撮った写真はちゃんと整理してますか?」
(宮崎あおいさんに1日1問より
http://waltz2.aflac-duck.jp/)
あおいタンと一緒。しなきゃしなきゃと思いつつ全くしてないです(´・ω・`)
適当な人なので・・・
ただ撮った写真は全てデジカメのデータなので
スマートメディアがいっぱいになってパソコンに移すときに
そのまま(2003年3月〜2004年5月間に撮影、というように)フォルダを作ってます。
だいたい関連性があるのでぐちゃぐちゃになっているということはないですね。
全てサムネイルで確認できるようにしているし。
Q and A
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Q:最近どうして「マッキー」を「マッキー(槇原敬之)」と書くのですか。
A:西山茉希さんが台頭してきたからです。
今後は槇原敬之と前置きがない場合で、一度目のマッキーには(槇原敬之)と書くつもりです。
西山茉季さんきれいな方ですよね〜、うるるとさららのCMが好きです。
まあこれは真田君にも述べたことなんですが、
モデルさんは完璧なプロポーションだからどうも近寄りがたくて(高嶺の花)
ファンになれないと。
親近感がわくといったら失礼かもしれないが
不完全な宮崎あおいが好きです。不完全な中島美嘉が好きです。
もうね、中島美嘉が怖いとか言われるのを見る度に
ゾクゾクしますね〜ぽまえら分かってない、美嘉ちゃんの美しさを分かってないと!
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