僕は大丈夫 [1948号]
2007年6月17日本日の日記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
昨日は英語でごめんなさい、しかも間違いだらけの。
(EnglishではなくEngrishとしていたのはその皮肉)
なんとか参考書と、何とか単語帳と予備校のノートを参考に書きました。
あれだけの単文ですが、1時間以上かかってしまいました。
おバカはつらい。たまには英語で書きたいと思ってます。
やっぱり出していかないと覚えないし、作文するのが
楽しいんですね。
校正はgoogle.comを使いました。
こういう(特定の)言い回しをするのかを
検索するんです。日本語でも時たま迷うことがありますが
「〜は言わずもがな」というときに
「言わずもがなだけど」というのかと迷ったとして""でくくって
検索してヒットした数で用法の普遍さを確かめます。
本当は恥ずかしいから訳は付けないでおこうと思ったんですけど
戸田奈津子さんの翻訳方法を知りまして、大幅に改編された
訳ならまあいいか・・・(そしてそれがパロディとしてならまあいいか)と思いまして。。。
別に皆さんに読んで欲しいって訳でもないですねぇ
むしろ読まないで・・・(’A`)
だけどEnglish Blogってやつをやってみたくってさ、
いんたーねっとって世界につながってるって言うじゃないですが
アメリカ人に宮崎あおいの結婚話をしても意味ないけど(笑
じゃ、今日は現代文の勉強。
冷静に見直す、宮崎あおいの結婚
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
おととい、衝撃的なニュースがあった。あの宮崎あおいが結婚をしたという・・・。多くいるファンの中で、とりわけカルト的層にいた僕は当然戸惑いを隠すことができなかった。そうか、いつの間にか・・・FRIDAYはそのことを昨年報道していたが、この日記はそれを否定した。FRIDAYの妥当性が、宮崎あおい自身の手によって証明されたわけだ・・・あのとき否定していたこの日記は、FRIDAYに謝るべきなのかもしれない。
事実とは、多くの場合人を助ける作用をもたらす。たとえば交通事故で虚偽の証言が事実によって覆れば加害者が、じつは被害者だったとか、そういう話は多くある。だからみんな事実に重きを置く。事実とは、常に汚れのない状態にすべきだという主張は、誰でも納得できるし、普遍的志向として認知されていると思う。確かに僕もそう思うし、そうだから汚れが落とされたときに人々は驚く。隠匿されていた事実が明るみに出たときに喜ぶ人もいれば落ち込む人もいる。
今回の場合、僕は後者だった。公然の秘密になりつつある事実が本当に明かされた結果、汚れ以上に必要な物の一部まで切り取って落としてしまったのである(あるいは汚れがオブラートの役割を果たしていたのかもしれないが)。ようするにそれは、未婚者であるが故のアドバンテージだ。
大女優ともなれば、それは些細な比率でしかなくなる。だか、こと宮崎あおいの場合だと、残念ながらそれに依存する比率はまだ高かった気がするのだ。確かにいい演技をするし、たとえば「ただ、君を愛してる」では多くの観客達が心を打たれたに違いない。しかし、それは、あくまでも偶然居合わせた人たちが多くを占めていたわけで、宮崎あおい指名で映画を見に来ていた人はまだ少数だったように感じる。もっともトップに立つ同世代の女優と比較して考えるとよくわかる。名前はそこそこ知られているものの、実際はまだまだだ。
今回の件に関して、ある報道記事では「アイドル的に見られることを結婚によって(女優として見られるように)変えたかったのでは」という主張がされていた。たしかにそう考えると、今回のことは自然とも言えなくもないが、が、大きな比率を占めていたそれを排除した結果、ある一定のコア層を除いては多くは榮倉奈々に転身すると表明してしまった[要出典]
転身した人々はとりわけ「宮崎あおい」に傾倒し、「女優・宮崎あおい」よりも「宮崎あおい」そのものに重きを置いていた人たちが多い。[要出典]
芸能という一般とは違う場所にいながらも、ほのかな夢を提供していた(と思われる)未婚の宮崎あおいのファンだった人たちは、どんなにかそれを痛恨の極みに思ったことか。彼らを現実と虚構の区別ができない人たちと非難することができるだろうか? たぶんできないだろう。以下その証明である。
まず、なぜ各CMで宮崎あおいが起用されているかを考えてみる。宮崎あおいに特別なキャラクター性はない(猫背椿のような)。 東京メトロでは演技力によって起用されたと申し上げても差し支えはないだろうが、Defはどうか? このCMのコンセプトは「宮崎あおいが実際に住んでいそうな部屋」をコンセプトとしているらしい。つまり、"宮崎あおい"という部分に宣伝効果との相乗効果を狙った意図が見える。かわいい宮崎あおいのCMならばやはり目にとまる、「宮崎あおい、ほどけちゃってます」というセリフで男子の心は捕まえることができたはず。
ようは宮崎あおいそれ自体が、もっと言えば未婚であった宮崎あおいそのものが強調されていたということになる。こういうやり方は面積の狭い水着をきて笑顔を振りまくアイドルとの売り方と、どこに差異があるというのだろうか。
アイスのCMに過剰な演技力が必要なのか? 15秒,30秒と短い中で・・・。宮崎あおいの宣伝効果を狙った作りをしていてそれを(本人も)よしと思うなら、女優業だけではない路線もある程度は走っていたと考えもよいと思う。つまり先の彼らが宮崎あおいに一種の幻想を抱いても致し方がないとしてある程度は容認できるのではないか、ということだ。
実際、女優業としての実績はNANAと純情きらり(と害虫)くらいで[要出典]それ以外の作品はある程度映画好きか、ファンでないと答えることは難しいだろう。
また多くのアイドル的女優が出演しているケータイ刑事に出演していたという事実も忘れてはならない。彼女は単純に女優だけで歩んできたわけではないのである。
さて、アイドル的に見られる視線を結婚によって変えたかったのではないかという推測について、仮にそれが真実だとしたら、少々早計だったのではないだろうかと思う。今まで話してきたような側面があるのだから、 (して欲しくなかったなどと言うつもりはないが) もう少し女優としての地位向上を努めたあとに結婚しても決して遅くはなかったように思う。突きつけられる事実の大きさとその効果を考えれば・・・。
随想
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
僕の夢は金曜日に終わった。長い夢を見ていた気がした。
終わってみて楽しかった日々に寂しさを覚えたりしたが
戻りたいとはあまり思っていない。たぶん夢のあとの現実の方が
きっと楽しいだろうと思う気持ちが作用しているからでしょう。
中島美嘉は言った。
「あれから僕はいくつの夢を見てきたのだろう
目を閉じて見る夢よりも 目を開きながら...wow」
(WILLより)
宮崎あおいの話は置いておいて、「相手に好きな人(恋人)がいて
恋が終わるパターン」というものによく出くわしている気がします。
(言い換えれば、僕が宮崎あおいに恋してたと取れるけど
それは断じてなかったと否定しておく!)
昔話のひとつとして保育園の先生に憧れていたけど
その先生が結婚しちゃって終わった初恋(?)の話を書いたことがあるけど
あれも好きになったときには相手に恋人がいた。
小学生の頃は忘れたけど中学生のときも、好きになった同級生の子には
やっぱり恋人がいた(ただしフリーになった時期があり
そこを横目で見ていた自分が悪かったんだけど)
そして同じく中学校で実習生を好きになったときは
彼氏がいるというバッドエンド(それなんてエ(ry)で終わった。
つまり恋人がいた。
人を惹きつけるんだから当たり前かもしれないけど
もしかしてそういう人に惚れやすい体質なのかと
最近思うようになってきた。
実は予備校でも可愛い子がいて(まあ恋愛感情はないけど)
でもやっぱり恋人らしき人がいるようで・・・。
競争倍率の低いところに妥協しない自分がおろかなんですかね!
欠員狙えるほどの策略家で、努力家でもないので
このままだと一生独身は確実だな(´・ω・`)。
僕は運が悪いときは思い切り悪いらしい。
今年は大学に蹴飛ばされたのはもちろんのこと、
あおいの結婚、いいなと思う人には恋人がいるパターンの法則確立
そしておととい、読売新聞の宮崎あおいの結婚記事の小ささを
嘆きながら自転車で散歩してたら・・・。
押しボタン式信号機でボタンを押して待っていたんですけど
交差点の先に若いカップル(中学か高校生)がいて
まあ別に何も思わなくて信号を待ってたんですけど
思い切り周りに見えてるのに山本Monaバリに接吻してましてねー
目のやり場に困ったというか・・・。
あー年下の子でもやることはやってるんだ、
僕って死ぬほど遅れてるんだな、と思ってしまった。
(↑そうやって適応機制してる自分も同時に嫌悪してたり・・・)
定番といえば定番。
最近このモテない不幸(?)を楽しんでる向きもあります(笑
街中でカップルの抱擁をみると「日記のネタができた」
街中で楽しげなカップルをみると「日記のネタができた」
可愛い人を発見--しかし恋人がいた「日記のネタができた」
病気ですかそうですか、でも良いじゃないですか
僕はネガティブになることは度が過ぎなければ悪いこととは思わないし
人より自分のことを考える分だけ、より客観的なことを
発言できるようになるかもしれないし。
もう僕は楽しんでるね。本当は結婚報道を聞いたとき
暗くなってる自分に酔っていたかも(中島美嘉、aromaより
「愛せる自分に酔ってしまうだけ」)
明日はどんなorzが僕を待ってるんでしょうかね。楽しみだ。
がんばってみますよー。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
椅子を僕が使っているときはマミはパソコンの上で寝ます。
そろそろパソコンの利用制限でも設けようかと考えているので
マミにずーっと椅子を貸すというのもいい手だな。
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昨日は英語でごめんなさい、しかも間違いだらけの。
(EnglishではなくEngrishとしていたのはその皮肉)
なんとか参考書と、何とか単語帳と予備校のノートを参考に書きました。
あれだけの単文ですが、1時間以上かかってしまいました。
おバカはつらい。たまには英語で書きたいと思ってます。
やっぱり出していかないと覚えないし、作文するのが
楽しいんですね。
校正はgoogle.comを使いました。
こういう(特定の)言い回しをするのかを
検索するんです。日本語でも時たま迷うことがありますが
「〜は言わずもがな」というときに
「言わずもがなだけど」というのかと迷ったとして""でくくって
検索してヒットした数で用法の普遍さを確かめます。
本当は恥ずかしいから訳は付けないでおこうと思ったんですけど
戸田奈津子さんの翻訳方法を知りまして、大幅に改編された
訳ならまあいいか・・・(そしてそれがパロディとしてならまあいいか)と思いまして。。。
別に皆さんに読んで欲しいって訳でもないですねぇ
むしろ読まないで・・・(’A`)
だけどEnglish Blogってやつをやってみたくってさ、
いんたーねっとって世界につながってるって言うじゃないですが
アメリカ人に宮崎あおいの結婚話をしても意味ないけど(笑
じゃ、今日は現代文の勉強。
冷静に見直す、宮崎あおいの結婚
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
おととい、衝撃的なニュースがあった。あの宮崎あおいが結婚をしたという・・・。多くいるファンの中で、とりわけカルト的層にいた僕は当然戸惑いを隠すことができなかった。そうか、いつの間にか・・・FRIDAYはそのことを昨年報道していたが、この日記はそれを否定した。FRIDAYの妥当性が、宮崎あおい自身の手によって証明されたわけだ・・・あのとき否定していたこの日記は、FRIDAYに謝るべきなのかもしれない。
事実とは、多くの場合人を助ける作用をもたらす。たとえば交通事故で虚偽の証言が事実によって覆れば加害者が、じつは被害者だったとか、そういう話は多くある。だからみんな事実に重きを置く。事実とは、常に汚れのない状態にすべきだという主張は、誰でも納得できるし、普遍的志向として認知されていると思う。確かに僕もそう思うし、そうだから汚れが落とされたときに人々は驚く。隠匿されていた事実が明るみに出たときに喜ぶ人もいれば落ち込む人もいる。
今回の場合、僕は後者だった。公然の秘密になりつつある事実が本当に明かされた結果、汚れ以上に必要な物の一部まで切り取って落としてしまったのである(あるいは汚れがオブラートの役割を果たしていたのかもしれないが)。ようするにそれは、未婚者であるが故のアドバンテージだ。
大女優ともなれば、それは些細な比率でしかなくなる。だか、こと宮崎あおいの場合だと、残念ながらそれに依存する比率はまだ高かった気がするのだ。確かにいい演技をするし、たとえば「ただ、君を愛してる」では多くの観客達が心を打たれたに違いない。しかし、それは、あくまでも偶然居合わせた人たちが多くを占めていたわけで、宮崎あおい指名で映画を見に来ていた人はまだ少数だったように感じる。もっともトップに立つ同世代の女優と比較して考えるとよくわかる。名前はそこそこ知られているものの、実際はまだまだだ。
今回の件に関して、ある報道記事では「アイドル的に見られることを結婚によって(女優として見られるように)変えたかったのでは」という主張がされていた。たしかにそう考えると、今回のことは自然とも言えなくもないが、が、大きな比率を占めていたそれを排除した結果、ある一定のコア層を除いては多くは榮倉奈々に転身すると表明してしまった[要出典]
転身した人々はとりわけ「宮崎あおい」に傾倒し、「女優・宮崎あおい」よりも「宮崎あおい」そのものに重きを置いていた人たちが多い。[要出典]
芸能という一般とは違う場所にいながらも、ほのかな夢を提供していた(と思われる)未婚の宮崎あおいのファンだった人たちは、どんなにかそれを痛恨の極みに思ったことか。彼らを現実と虚構の区別ができない人たちと非難することができるだろうか? たぶんできないだろう。以下その証明である。
まず、なぜ各CMで宮崎あおいが起用されているかを考えてみる。宮崎あおいに特別なキャラクター性はない(猫背椿のような)。 東京メトロでは演技力によって起用されたと申し上げても差し支えはないだろうが、Defはどうか? このCMのコンセプトは「宮崎あおいが実際に住んでいそうな部屋」をコンセプトとしているらしい。つまり、"宮崎あおい"という部分に宣伝効果との相乗効果を狙った意図が見える。かわいい宮崎あおいのCMならばやはり目にとまる、「宮崎あおい、ほどけちゃってます」というセリフで男子の心は捕まえることができたはず。
ようは宮崎あおいそれ自体が、もっと言えば未婚であった宮崎あおいそのものが強調されていたということになる。こういうやり方は面積の狭い水着をきて笑顔を振りまくアイドルとの売り方と、どこに差異があるというのだろうか。
アイスのCMに過剰な演技力が必要なのか? 15秒,30秒と短い中で・・・。宮崎あおいの宣伝効果を狙った作りをしていてそれを(本人も)よしと思うなら、女優業だけではない路線もある程度は走っていたと考えもよいと思う。つまり先の彼らが宮崎あおいに一種の幻想を抱いても致し方がないとしてある程度は容認できるのではないか、ということだ。
実際、女優業としての実績はNANAと純情きらり(と害虫)くらいで[要出典]それ以外の作品はある程度映画好きか、ファンでないと答えることは難しいだろう。
また多くのアイドル的女優が出演しているケータイ刑事に出演していたという事実も忘れてはならない。彼女は単純に女優だけで歩んできたわけではないのである。
さて、アイドル的に見られる視線を結婚によって変えたかったのではないかという推測について、仮にそれが真実だとしたら、少々早計だったのではないだろうかと思う。今まで話してきたような側面があるのだから、 (して欲しくなかったなどと言うつもりはないが) もう少し女優としての地位向上を努めたあとに結婚しても決して遅くはなかったように思う。突きつけられる事実の大きさとその効果を考えれば・・・。
随想
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
僕の夢は金曜日に終わった。長い夢を見ていた気がした。
終わってみて楽しかった日々に寂しさを覚えたりしたが
戻りたいとはあまり思っていない。たぶん夢のあとの現実の方が
きっと楽しいだろうと思う気持ちが作用しているからでしょう。
中島美嘉は言った。
「あれから僕はいくつの夢を見てきたのだろう
目を閉じて見る夢よりも 目を開きながら...wow」
(WILLより)
宮崎あおいの話は置いておいて、「相手に好きな人(恋人)がいて
恋が終わるパターン」というものによく出くわしている気がします。
(言い換えれば、僕が宮崎あおいに恋してたと取れるけど
それは断じてなかったと否定しておく!)
昔話のひとつとして保育園の先生に憧れていたけど
その先生が結婚しちゃって終わった初恋(?)の話を書いたことがあるけど
あれも好きになったときには相手に恋人がいた。
小学生の頃は忘れたけど中学生のときも、好きになった同級生の子には
やっぱり恋人がいた(ただしフリーになった時期があり
そこを横目で見ていた自分が悪かったんだけど)
そして同じく中学校で実習生を好きになったときは
彼氏がいるというバッドエンド(それなんてエ(ry)で終わった。
つまり恋人がいた。
人を惹きつけるんだから当たり前かもしれないけど
もしかしてそういう人に惚れやすい体質なのかと
最近思うようになってきた。
実は予備校でも可愛い子がいて(まあ恋愛感情はないけど)
でもやっぱり恋人らしき人がいるようで・・・。
競争倍率の低いところに妥協しない自分がおろかなんですかね!
欠員狙えるほどの策略家で、努力家でもないので
このままだと一生独身は確実だな(´・ω・`)。
僕は運が悪いときは思い切り悪いらしい。
今年は大学に蹴飛ばされたのはもちろんのこと、
あおいの結婚、いいなと思う人には恋人がいるパターンの法則確立
そしておととい、読売新聞の宮崎あおいの結婚記事の小ささを
嘆きながら自転車で散歩してたら・・・。
押しボタン式信号機でボタンを押して待っていたんですけど
交差点の先に若いカップル(中学か高校生)がいて
まあ別に何も思わなくて信号を待ってたんですけど
思い切り周りに見えてるのに山本Monaバリに接吻してましてねー
目のやり場に困ったというか・・・。
あー年下の子でもやることはやってるんだ、
僕って死ぬほど遅れてるんだな、と思ってしまった。
(↑そうやって適応機制してる自分も同時に嫌悪してたり・・・)
定番といえば定番。
最近このモテない不幸(?)を楽しんでる向きもあります(笑
街中でカップルの抱擁をみると「日記のネタができた」
街中で楽しげなカップルをみると「日記のネタができた」
可愛い人を発見--しかし恋人がいた「日記のネタができた」
病気ですかそうですか、でも良いじゃないですか
僕はネガティブになることは度が過ぎなければ悪いこととは思わないし
人より自分のことを考える分だけ、より客観的なことを
発言できるようになるかもしれないし。
もう僕は楽しんでるね。本当は結婚報道を聞いたとき
暗くなってる自分に酔っていたかも(中島美嘉、aromaより
「愛せる自分に酔ってしまうだけ」)
明日はどんなorzが僕を待ってるんでしょうかね。楽しみだ。
がんばってみますよー。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
椅子を僕が使っているときはマミはパソコンの上で寝ます。
そろそろパソコンの利用制限でも設けようかと考えているので
マミにずーっと椅子を貸すというのもいい手だな。
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