本日の日記
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Googleさんで『静流の病気』で"I’m feeling Lucky"をクリックすると
この
(http://diarynote.jp/d/14421/20070605)
日記が出てくる・・・(注意:この日記を書いている時点では)
Googleさん、それは本当に検索者にとって幸運なんでしょうか。。。
またフィーリングラッキーをせず検索結果をみると
この日記がトップなのは言うまでもないが、そのほかのブログもあり
ざっと見た感じで静流の病気について肯定的な意見が少ないように見えた(もちろんちゃんと確かめた訳じゃない)
Google的にも、静流の病気、の“病気”の解釈については
修飾語的存在でしかない(*1)という物なんでしょうか。
(もっとも文法的に考えるだけなら比喩でもなんでもないけどさ)
(*1:ここの解説が恐ろしく難しい、修飾語がなくても
意味は通じる(ex.割れた窓の割れたを除いても窓は窓)から
ただ、君を愛してるにおいて静流の病気も、ストーリー上重要な意味持っていても
病気の本質のそれ自体は修飾語として使われているにすぎず
それを深追いしてもしょうがないということを書いた主旨の日記を
Googleが(偶然でも)一番目に持ってくるあたりが面白い、ということを言ってる。
すごくわかりにくくてすみません。言葉にできない・・・(オフコース・・・))
ちょっと勉強もどきをしてるからって調子乗ってんじゃねーよ
って話ですよね、すみません。でもまあどんな言葉でも
ただ、君を愛してるについての静流の病気の解釈については
譲れない・・・。
まあもっとも、宮崎あおいファンであるが故、その主観によって偏向的な解釈(=この場合良評)を可能としているのかもしません。
Googleの検索結果をネタにしてるなんてネタの枯渇もいよいよ末期になってきたね。
そのうち本日の日記とだけ書かれた日記を書く日が来るかもしれない(ならやめちゃえばいいのにね)
最近古い歌をよく聴いてます。なんか最近MDもCDも聴いてないなと思いましてね。
まあMDはどうでも良いんだけどCDはやっぱりパソコンに入ってる
圧縮音源よりもずっと音が良いのでああCD聴きたいなと。
マッキーの曲もCDで聴き直したりしてますけど
なんとなく古めのCDを。昔はこんな趣味だったかぁと思いながら。
音楽って聴くと思い出す場面があるじゃないですか、いや全てではなくても。
あのころってあんなことしてたとか、まあベタなところだと
昔付き合っていた恋人を思い出すとかですね。
音楽ってそういう効果があって面白いなぁと思いますし
僕も他のアーティストだとありますけど
でもマッキー(と中島美嘉)の場合だとそれがないんですよね。
マッキーの曲を聴き終えるということがないからです。
ずーっと聴いてるので常に付帯する情景は書き換えられるし・・・。
思い出の曲になったという意識がない。それもそれで悲しいのかな?と思ってみたり。
(まあよく聴く曲でも2003年や2004年の日記を読みながら聴けば
思い出したりするんだけどね)
そろそろ1曲ぐらい『飽きた』曲が出てきても良さそうなんだけど
マッキーの曲で、少なくとも本格的に聴くようになった2003年から、
飽きたという曲は1曲もないですねぇ。
反復にもちゃんと意味があるからなんでしょうか。
でも多くの人はそれを理解してくれますよね(ある程度は・・・)
映像の場合だと同じ映画を100回見たといっても
えーって感じですけど歌だとね。
心に響くという点では映画も歌も同じなのに面白いもんです。
というわけで初恋をもう一回見ようと思います(´・ω・`)
せっかく買ったんだし・・・。
今日のマミ
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マミがいてくれるだけで安堵感を得るし
家にいることをとてもよく実感できるからそれだけで
何も求めないけど、日記を書くときだけは、
たとえば投げたボールを持ってきてくれるとか、
二足歩行ができるとかなんか芸があったらどんなにか
書くのが楽だろうか、と思ってしまう。。。
でもまあ、だらだらしてなんぼなマミですから、
これからもだらだらしてくれ、存分に。
困るのは僕だけで良いから。
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Googleさんで『静流の病気』で"I’m feeling Lucky"をクリックすると
この
(http://diarynote.jp/d/14421/20070605)
日記が出てくる・・・(注意:この日記を書いている時点では)
Googleさん、それは本当に検索者にとって幸運なんでしょうか。。。
またフィーリングラッキーをせず検索結果をみると
この日記がトップなのは言うまでもないが、そのほかのブログもあり
ざっと見た感じで静流の病気について肯定的な意見が少ないように見えた(もちろんちゃんと確かめた訳じゃない)
Google的にも、静流の病気、の“病気”の解釈については
修飾語的存在でしかない(*1)という物なんでしょうか。
(もっとも文法的に考えるだけなら比喩でもなんでもないけどさ)
(*1:ここの解説が恐ろしく難しい、修飾語がなくても
意味は通じる(ex.割れた窓の割れたを除いても窓は窓)から
ただ、君を愛してるにおいて静流の病気も、ストーリー上重要な意味持っていても
病気の本質のそれ自体は修飾語として使われているにすぎず
それを深追いしてもしょうがないということを書いた主旨の日記を
Googleが(偶然でも)一番目に持ってくるあたりが面白い、ということを言ってる。
すごくわかりにくくてすみません。言葉にできない・・・(オフコース・・・))
ちょっと勉強もどきをしてるからって調子乗ってんじゃねーよ
って話ですよね、すみません。でもまあどんな言葉でも
ただ、君を愛してるについての静流の病気の解釈については
譲れない・・・。
まあもっとも、宮崎あおいファンであるが故、その主観によって偏向的な解釈(=この場合良評)を可能としているのかもしません。
Googleの検索結果をネタにしてるなんてネタの枯渇もいよいよ末期になってきたね。
そのうち本日の日記とだけ書かれた日記を書く日が来るかもしれない(ならやめちゃえばいいのにね)
最近古い歌をよく聴いてます。なんか最近MDもCDも聴いてないなと思いましてね。
まあMDはどうでも良いんだけどCDはやっぱりパソコンに入ってる
圧縮音源よりもずっと音が良いのでああCD聴きたいなと。
マッキーの曲もCDで聴き直したりしてますけど
なんとなく古めのCDを。昔はこんな趣味だったかぁと思いながら。
音楽って聴くと思い出す場面があるじゃないですか、いや全てではなくても。
あのころってあんなことしてたとか、まあベタなところだと
昔付き合っていた恋人を思い出すとかですね。
音楽ってそういう効果があって面白いなぁと思いますし
僕も他のアーティストだとありますけど
でもマッキー(と中島美嘉)の場合だとそれがないんですよね。
マッキーの曲を聴き終えるということがないからです。
ずーっと聴いてるので常に付帯する情景は書き換えられるし・・・。
思い出の曲になったという意識がない。それもそれで悲しいのかな?と思ってみたり。
(まあよく聴く曲でも2003年や2004年の日記を読みながら聴けば
思い出したりするんだけどね)
そろそろ1曲ぐらい『飽きた』曲が出てきても良さそうなんだけど
マッキーの曲で、少なくとも本格的に聴くようになった2003年から、
飽きたという曲は1曲もないですねぇ。
反復にもちゃんと意味があるからなんでしょうか。
でも多くの人はそれを理解してくれますよね(ある程度は・・・)
映像の場合だと同じ映画を100回見たといっても
えーって感じですけど歌だとね。
心に響くという点では映画も歌も同じなのに面白いもんです。
というわけで初恋をもう一回見ようと思います(´・ω・`)
せっかく買ったんだし・・・。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
マミがいてくれるだけで安堵感を得るし
家にいることをとてもよく実感できるからそれだけで
何も求めないけど、日記を書くときだけは、
たとえば投げたボールを持ってきてくれるとか、
二足歩行ができるとかなんか芸があったらどんなにか
書くのが楽だろうか、と思ってしまう。。。
でもまあ、だらだらしてなんぼなマミですから、
これからもだらだらしてくれ、存分に。
困るのは僕だけで良いから。
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