あれ・・・ [1916号]
2007年5月16日本日の日記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
明日誕生日でした。ちょっと矛盾のありそうな文だな。
厳密に言えば「明日誕生日で(あることを忘れていま)した」ということです。
日記のカレンダー見て気づきました(’A`)
今度は母がケーキを買ってきてくれるみたいです。
ありがたいもんです。19歳か、実は日記を書いている時点で
(この日記は16日深夜26時=17日2時に書いてます)
19歳になっているという事実。
でも僕が生まれてきた間は19時ぐらいらしいので、
一応18歳最後の日記って事で良いですかね。
この18年間、いろいろとありました。
いろいろな人に会いました。通過していった人もいれば
ありがたいことに未だに親交のある人もいます。
この数年、特にここ2〜3年は人からみれば呆れられるようなことばかりをしてきたと思うんですけど
それでもつながりが保たれたままでいてくださるということに
最大限の喜びを感じてます。感動してます。
この日記も2005年以降からおかしくなって(←もとからおかしいか)
いき、最近じゃあの芸能人の名前ばかりが主題となることも多いんですけど
それでも読んでるって言葉を聞くと嬉しいですね。
リアルな、現実の友達(と思いこんでるだけだったりして・・・(’A`))
からリアルコメント及びトラックバック(?)をいただくと
大変嬉しいですね。mixiでもやってれば良いじゃんって感じなんですけど
mixiだと知らない人の輪に飛び込まなきゃならなかったりするじゃないですか。
その点で(確かに知らない人との関わりはあるものの非常に緩やかだから)
だいありぃ〜の〜とが好き。こんな機能も、コミュニティもお手軽サイトはここだけだな。
しかしコメントはおろかトラックバックまで拒否しててすみません。
トラックバックはスパムがひどかったから止めたんですけど
コメントは意図的に止めてます(相互リンクの方のみという設定
にはなってますが・・・)
鎖国しててすみません(笑
たぶん開国はしないと思います。どうしても言いたいことがあれば
メールでも:pRess掲示板でも僕に伝える手だてはいろいろ
あると思うし、ここのコメントは微妙に使いにくいのでね。
さて、話を18年の軌跡に戻したいと思うのですけれども、
一番大きかった、18年間で大きかったことってなんだろう?
と考えると、まあいろいろあるんですけども・・・
現在にまで続く友達と出会ったことでしょうかね。
気さくなプレゼントをするわけでもないし、
くだらない日記を書いてる僕にいろいろとおもしろいことを
教えてくれて本当に感謝してます。
あとはなにかなー、槇原敬之ファンになるとは
思わなかったなぁ。嫌いでもなかったんだけど
マッキーに明るいイメージを持ってなくて、
まあ小学生の時に聞いたのが『ANSWER』だからねぇ(笑
あのころは詩じゃなくてあの悲しいメロディーが
頭から離れなかった。マッキー独特の音の使い方に
すごく・・・ぐっと来たというか、なんか陰惨な雰囲気のする
曲ばっかりなんだなぁーって思ってました(笑
そのうち変な声が聞こえてきそうだなぁ、と
ちょっと気味悪かった。でも歳を取れば取るほど
わかってくるマッキーの良さ。
昔は実は今ほどこういうバラードが好きじゃなかったんですがね。
ロックを特別聴いたことはないが、でもテンポの速い曲が好きだった。
歌詞がちゃんと染みるようになって、マッキーのそれが、
その歌詞を伝えるために大切な要素としてあると気づいたときに、
スローモーな曲がどうして遅いのかに気づいたときに、
マッキーファンになってましたね\(^o^)/
新曲出してよ!マッキーどうした!
あとあと、当然中島美嘉ファンになるとも思わなかった。
中島美嘉をテレビで見たときに、どうしてだかすごく惹かれたのね。
傷ラブ。
あの当時、僕がどんな心理状態でテレビを眺めていたのか不明なんだけど、
なんか惹かれた。未来がんばれって本気で思ってた。
(ちなみに槇原敬之ファンになる前の話)
それまでの僕は今ほど芸能に入れ込むことはなくて・・・。
(でも浜崎がtu-kaのキャラクタだったときに
今と同じようにパンフレットを集めてたね
当時は浜崎のファンというか・・・)
ちょっと話がさらにさかのぼるが、僕はなんて言うか
親と距離を置くタイプ(?)みたいで、今はそうでもないと思うんだけど
女性アーティストとかタレントとかの追っかけ的なものをすることが
妙に恥ずかしかったのです。
新しいCDを買っても、ジャケットを眺めるときは
親のいないところでこっそり眺めていたし、
特別に好きであるということを明示することは、つまり
自分を破壊へと導く爆弾のようなものとさえ、思っていたかもしれません。
(↑ほら、悪い癖が出てきた)
硬派を気取っていたわけじゃないけど、
とくに異性が絡む話題はどんな話題でも親とすることはなかった。
なかったけど、日々大きくなる思い(?)についに自分を崩して
最終的には浜崎のシングルを必ず買うような、
今みたいな感じになるんですけどね。
そんな背景もあって、中島美嘉を気に入ってもすぐに
CDを買うことはなく、STARSはレンタルでした。
レンタル・・・今だったら絶対買ってます。
そのあとのCRESCENTMOONも発売を知っていたけど
購入せず。その当時中学生だったのにろくな小遣いシステムが
構築されておらず(会計は曖昧で、CDについては常識の範囲内で
買ってもらえた)
同じCDを2枚買うという提案は(それが当時はまだ
あまり人気ではなかった歌手ということもあり)却下された。
貨幣経済が流入してくるのは実はかなりあとでした。
そもそも僕自身がものをあまり買う方ではなく・・・
いや、訂正すると小物をあまり買う方ではなく、
たとえば服とかアクセサリとか・・・
月々で金銭管理しても動きが0の時もしばしばだったのです。
さて、中島美嘉の話は続きますが、
高校に入って以降さらにエスカレートするファン活動ですが
加入したファンクラブはなぜかマッキー。
実はすぐに中島美嘉のも加入する予定だったんですけど
ロッピーで加入申し込みってのが嫌で現在もそのまま。
たぶんライブに参加したときに入るよ。
:pRessを作り上げることは、中学生の段階である程度予想はしてました。
そもそも中島美嘉ファンサイトは:pRessがはじめてではなかったですし。
他に作ってたサイトの個人サイトによくある分室的な存在で
作ったのが最初。
中島美嘉を扱ったサイトは続かないというジンクスも見事に
打ち破った:pRess.いま更新止まってるけど
近いうち何か書きます(’A`)
今日はこの辺はさらりと流す予定でしたが、
ついつい書きました。10年後の自分のために。
(でも10年くらいじゃ覚えてそうだな。どうでもいいことを
いつまでも覚えていたりするし)
じゃあそろそろ心情的な面も。
18年間で僕の考え方が180度変わった出来事はあったか?
いや、無いです。感動的な恩師がいるわけじゃないし、
そういう感動的なエピソードは何もない。
アメリカの憲法みたいに加筆・修正が多いですね。
思いっきり基礎を書き換えることはあっても100パーセント
変わることはないですね。
根底に考えがあって、それと新しい考え・概念が合致するか見るんです。
そのあとで、合ってればそれ(=元々の考え)に妥当性があるとし、
合ってなければその違いを見てみて、納得できれば修正していく・・・。
これだけきいてりゃよほど立派な人間のように思えるけど
実際は頭の中の野党が審議拒否して審議が進まないことも
しばしば。強制採決に踏み切るほど与党は強くないので
もやもやと考えることもあります。
まっすぐ生きたいとか正直でいたいとか、そういう高尚(と思われる)
思いもないし、だからって人を押しのけてまでのし上がろう
という思いもない。
欲がないのもよくないけどありすぎるのもよく無いじゃないですか。
だからね、僕はただ単に、
「街でよく見かける幸せそうなカップルのような幸せを味わってみたい」
と思うだけなんですけど欲ありすぎですかそうですか(’A`)
金もいらない地位も名誉もいらない。
それを全て捨てたら宮崎あおいみたいな人と肩を寄せ合えますかね??
だったら今すぐ捨ててやる!
しかしそれが現実として不可能だから僕は予備校に行くのさ。
その幸せを手に入れられない以上、得られる幸せなら
つかみに行かないとダメじゃない?
はっきりいって無意味だってずっと思ってる。勉強も
好きじゃないしさ。でも、そうしないと、もっと不幸だから
とりあえずしがみついてる。本当はそうじゃなくて
なんていうか、ヴァージン・スノーに出てきたシーンのように
静かに愛しい人と寄り添ってるだけの幸せがほしいんですけどね!
本気で人を『愛した』ことはないし『愛された』こともないから
そう思うんだと思います。わかってます。
(ここで言う愛は親子愛とか家族愛とは異質なものですからね)
実は車内でそういう話が出て真田君にはっきりと
真田君
「それは単にあなたが行動してないからじゃないですか?
行動すればすぐにできます!」
といわれたとき、結構痛いとこ付かれたかも、と思いました。
結局僕は18年間そういう事にあわなかったことを根拠として
それを否定したんですけど、実は真田君の言うことは真実です。
僕がこれほどまでの文章でつづってきたのは結局
自分にたいしてのいい訳でしかないんです。
僕は小学校の時に親にそう言う話をするのが苦手で、と
先ほど言いまして、そこで爆弾のようだ、と言ったんですけど
今までの話もそれと同じで、自分が能動的にでたときに来る
衝撃に想定以上で自分の覚悟が破壊されたときの怖さを
必要以上に測るからダメなんだろうと思います。
あ、もちろん容姿の問題もあるけど\(^o^)/
長いねー、もう少し要約すればいいのにねー。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
マミと昼寝・・・はがまん。
夜寝られなくなるからね。
寝付きが良いマミがうらやましい。
寝付き悪くてな・・・。しんどい。
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明日誕生日でした。ちょっと矛盾のありそうな文だな。
厳密に言えば「明日誕生日で(あることを忘れていま)した」ということです。
日記のカレンダー見て気づきました(’A`)
今度は母がケーキを買ってきてくれるみたいです。
ありがたいもんです。19歳か、実は日記を書いている時点で
(この日記は16日深夜26時=17日2時に書いてます)
19歳になっているという事実。
でも僕が生まれてきた間は19時ぐらいらしいので、
一応18歳最後の日記って事で良いですかね。
この18年間、いろいろとありました。
いろいろな人に会いました。通過していった人もいれば
ありがたいことに未だに親交のある人もいます。
この数年、特にここ2〜3年は人からみれば呆れられるようなことばかりをしてきたと思うんですけど
それでもつながりが保たれたままでいてくださるということに
最大限の喜びを感じてます。感動してます。
この日記も2005年以降からおかしくなって(←もとからおかしいか)
いき、最近じゃあの芸能人の名前ばかりが主題となることも多いんですけど
それでも読んでるって言葉を聞くと嬉しいですね。
リアルな、現実の友達(と思いこんでるだけだったりして・・・(’A`))
からリアルコメント及びトラックバック(?)をいただくと
大変嬉しいですね。mixiでもやってれば良いじゃんって感じなんですけど
mixiだと知らない人の輪に飛び込まなきゃならなかったりするじゃないですか。
その点で(確かに知らない人との関わりはあるものの非常に緩やかだから)
だいありぃ〜の〜とが好き。こんな機能も、コミュニティもお手軽サイトはここだけだな。
しかしコメントはおろかトラックバックまで拒否しててすみません。
トラックバックはスパムがひどかったから止めたんですけど
コメントは意図的に止めてます(相互リンクの方のみという設定
にはなってますが・・・)
鎖国しててすみません(笑
たぶん開国はしないと思います。どうしても言いたいことがあれば
メールでも:pRess掲示板でも僕に伝える手だてはいろいろ
あると思うし、ここのコメントは微妙に使いにくいのでね。
さて、話を18年の軌跡に戻したいと思うのですけれども、
一番大きかった、18年間で大きかったことってなんだろう?
と考えると、まあいろいろあるんですけども・・・
現在にまで続く友達と出会ったことでしょうかね。
気さくなプレゼントをするわけでもないし、
くだらない日記を書いてる僕にいろいろとおもしろいことを
教えてくれて本当に感謝してます。
あとはなにかなー、槇原敬之ファンになるとは
思わなかったなぁ。嫌いでもなかったんだけど
マッキーに明るいイメージを持ってなくて、
まあ小学生の時に聞いたのが『ANSWER』だからねぇ(笑
あのころは詩じゃなくてあの悲しいメロディーが
頭から離れなかった。マッキー独特の音の使い方に
すごく・・・ぐっと来たというか、なんか陰惨な雰囲気のする
曲ばっかりなんだなぁーって思ってました(笑
そのうち変な声が聞こえてきそうだなぁ、と
ちょっと気味悪かった。でも歳を取れば取るほど
わかってくるマッキーの良さ。
昔は実は今ほどこういうバラードが好きじゃなかったんですがね。
ロックを特別聴いたことはないが、でもテンポの速い曲が好きだった。
歌詞がちゃんと染みるようになって、マッキーのそれが、
その歌詞を伝えるために大切な要素としてあると気づいたときに、
スローモーな曲がどうして遅いのかに気づいたときに、
マッキーファンになってましたね\(^o^)/
新曲出してよ!マッキーどうした!
あとあと、当然中島美嘉ファンになるとも思わなかった。
中島美嘉をテレビで見たときに、どうしてだかすごく惹かれたのね。
傷ラブ。
あの当時、僕がどんな心理状態でテレビを眺めていたのか不明なんだけど、
なんか惹かれた。未来がんばれって本気で思ってた。
(ちなみに槇原敬之ファンになる前の話)
それまでの僕は今ほど芸能に入れ込むことはなくて・・・。
(でも浜崎がtu-kaのキャラクタだったときに
今と同じようにパンフレットを集めてたね
当時は浜崎のファンというか・・・)
ちょっと話がさらにさかのぼるが、僕はなんて言うか
親と距離を置くタイプ(?)みたいで、今はそうでもないと思うんだけど
女性アーティストとかタレントとかの追っかけ的なものをすることが
妙に恥ずかしかったのです。
新しいCDを買っても、ジャケットを眺めるときは
親のいないところでこっそり眺めていたし、
特別に好きであるということを明示することは、つまり
自分を破壊へと導く爆弾のようなものとさえ、思っていたかもしれません。
(↑ほら、悪い癖が出てきた)
硬派を気取っていたわけじゃないけど、
とくに異性が絡む話題はどんな話題でも親とすることはなかった。
なかったけど、日々大きくなる思い(?)についに自分を崩して
最終的には浜崎のシングルを必ず買うような、
今みたいな感じになるんですけどね。
そんな背景もあって、中島美嘉を気に入ってもすぐに
CDを買うことはなく、STARSはレンタルでした。
レンタル・・・今だったら絶対買ってます。
そのあとのCRESCENTMOONも発売を知っていたけど
購入せず。その当時中学生だったのにろくな小遣いシステムが
構築されておらず(会計は曖昧で、CDについては常識の範囲内で
買ってもらえた)
同じCDを2枚買うという提案は(それが当時はまだ
あまり人気ではなかった歌手ということもあり)却下された。
貨幣経済が流入してくるのは実はかなりあとでした。
そもそも僕自身がものをあまり買う方ではなく・・・
いや、訂正すると小物をあまり買う方ではなく、
たとえば服とかアクセサリとか・・・
月々で金銭管理しても動きが0の時もしばしばだったのです。
さて、中島美嘉の話は続きますが、
高校に入って以降さらにエスカレートするファン活動ですが
加入したファンクラブはなぜかマッキー。
実はすぐに中島美嘉のも加入する予定だったんですけど
ロッピーで加入申し込みってのが嫌で現在もそのまま。
たぶんライブに参加したときに入るよ。
:pRessを作り上げることは、中学生の段階である程度予想はしてました。
そもそも中島美嘉ファンサイトは:pRessがはじめてではなかったですし。
他に作ってたサイトの個人サイトによくある分室的な存在で
作ったのが最初。
中島美嘉を扱ったサイトは続かないというジンクスも見事に
打ち破った:pRess.いま更新止まってるけど
近いうち何か書きます(’A`)
今日はこの辺はさらりと流す予定でしたが、
ついつい書きました。10年後の自分のために。
(でも10年くらいじゃ覚えてそうだな。どうでもいいことを
いつまでも覚えていたりするし)
じゃあそろそろ心情的な面も。
18年間で僕の考え方が180度変わった出来事はあったか?
いや、無いです。感動的な恩師がいるわけじゃないし、
そういう感動的なエピソードは何もない。
アメリカの憲法みたいに加筆・修正が多いですね。
思いっきり基礎を書き換えることはあっても100パーセント
変わることはないですね。
根底に考えがあって、それと新しい考え・概念が合致するか見るんです。
そのあとで、合ってればそれ(=元々の考え)に妥当性があるとし、
合ってなければその違いを見てみて、納得できれば修正していく・・・。
これだけきいてりゃよほど立派な人間のように思えるけど
実際は頭の中の野党が審議拒否して審議が進まないことも
しばしば。強制採決に踏み切るほど与党は強くないので
もやもやと考えることもあります。
まっすぐ生きたいとか正直でいたいとか、そういう高尚(と思われる)
思いもないし、だからって人を押しのけてまでのし上がろう
という思いもない。
欲がないのもよくないけどありすぎるのもよく無いじゃないですか。
だからね、僕はただ単に、
「街でよく見かける幸せそうなカップルのような幸せを味わってみたい」
と思うだけなんですけど欲ありすぎですかそうですか(’A`)
金もいらない地位も名誉もいらない。
それを全て捨てたら宮崎あおいみたいな人と肩を寄せ合えますかね??
だったら今すぐ捨ててやる!
しかしそれが現実として不可能だから僕は予備校に行くのさ。
その幸せを手に入れられない以上、得られる幸せなら
つかみに行かないとダメじゃない?
はっきりいって無意味だってずっと思ってる。勉強も
好きじゃないしさ。でも、そうしないと、もっと不幸だから
とりあえずしがみついてる。本当はそうじゃなくて
なんていうか、ヴァージン・スノーに出てきたシーンのように
静かに愛しい人と寄り添ってるだけの幸せがほしいんですけどね!
本気で人を『愛した』ことはないし『愛された』こともないから
そう思うんだと思います。わかってます。
(ここで言う愛は親子愛とか家族愛とは異質なものですからね)
実は車内でそういう話が出て真田君にはっきりと
真田君
「それは単にあなたが行動してないからじゃないですか?
行動すればすぐにできます!」
といわれたとき、結構痛いとこ付かれたかも、と思いました。
結局僕は18年間そういう事にあわなかったことを根拠として
それを否定したんですけど、実は真田君の言うことは真実です。
僕がこれほどまでの文章でつづってきたのは結局
自分にたいしてのいい訳でしかないんです。
僕は小学校の時に親にそう言う話をするのが苦手で、と
先ほど言いまして、そこで爆弾のようだ、と言ったんですけど
今までの話もそれと同じで、自分が能動的にでたときに来る
衝撃に想定以上で自分の覚悟が破壊されたときの怖さを
必要以上に測るからダメなんだろうと思います。
あ、もちろん容姿の問題もあるけど\(^o^)/
長いねー、もう少し要約すればいいのにねー。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
マミと昼寝・・・はがまん。
夜寝られなくなるからね。
寝付きが良いマミがうらやましい。
寝付き悪くてな・・・。しんどい。
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