本日の日記
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(本来、日記タイトルは『スカラー演算』でした
しかし、だんだんと趣旨が変わったので改題しました
それを踏まえてお読みください)

ATOKには省入力機能(推測変換機能)がありまして
すか、で推測させた結果を適当にタイトルにしてみただけです。
この日記はアカデミックなことを書く場所ではないです(笑

しかし、言葉どおりではないにしろ、ある程度意味のある日記を作りたい、とならば
常々思っておりますが、今の僕にはそれができるだけの中身がないから無理です。

なんていうか・・・最近本当すかすかな日記しか書いてない気がするんですね。
いろいろな方の日記を斜め読みしてますけど(すみません)
みんななんか読んでておもしろいんですよ。
なるほどなぁと思うことがあったりなど。

考えてみたら受験が終わってから今日までシャーペンを握ってません。
もちろん比喩なので実際には握ってますけれども、伝票にサインしたり、
アンケートに答えたきりで、そのシャーペンで問題を解くとか
新しい単語を書きつづるようなことはしてないんです。
もう何ヶ月だ?遊びすぎた。

そしてさらに内省的になると僕は高校3年間でどれだけ
意味のあるシャーペンの芯の消費をしてきたか?ということになる。

考えてみると実は3年間シャーペンを握っていないのと同じような
生活を送ってきたような気がしてならない。
自分が3年前の自分と比較して、汚れた花ではないけど
まあなんていうか考え方という点ではあまり変化は無いとは思うんですが
能力という点では退化している部分もあるんじゃないかなぁとは
思いますね。本当日記にしても何にしても、物を考える力がとても弱くなった気がする。
日記だって見た目は長文だけど中身があるとは到底思えないです。
昔から意味のある文章を書いてきたという意識はないですが(笑

卒業文集に書いた記事・・・。
この記事を母親に読ませたら褒められることなく
『お前たんに難しい言葉使いたいだけだろ(笑』
と2ちゃんねる的なあおり(?)を受けた。

僕はすぐさまそうじゃないんだと反論したけど
このとき僕はこの母に勝つことは一生ないんじゃないかと思ってしまった。

僕はその記事について意識したのは、みんなにもう少しでも
難しい記事を読んでほしいというお節介から・・・
という訳でもなくて実際のところ
『おれさまはこんな学校にあわないような人間なんだぞ』
ということをアピールしたかったからなのかもしれません。
これがバカらしいということは、今の僕にはわかります。
だけど昨年12月の僕はそれがわかってないまぬけでした。

もっとも当時僕と同じ立場に立たされたもの(一般受験)は
ごく少数で(本当にクラスに10人居なかった)荒廃してたのかな・・・ハートが(笑

この文章を皆さんにお見せするとその当時の日記では宣言してましたけれども
今の感覚からするととてもじゃないけど無理だね。

太陽を聴きながら日記を書いてるから必要以上に
落ち込んでいる可能性はなくもないですが(笑
改めて去年の自分とか高校生であった自分を振り返ると
おおよそ上記のような気分になります。

僕は高校生活で多くの物を変えてしまったのかもしれない。
2004年4月に飲み込まれまいと誓った気持ちはどこに行ったんだろう?
もっと早くにいろいろと着手していれば今は違ったんじゃないだろうか?
(過去に『もしも・・・』は禁句だけどね)

後悔ばかりの人生だな。それもまた僕らしいかな?と思うところが僕らしい。
(要するにああだめだなーと思ってもそれをなかなか改めようとできないということ)

母親がいつもくれる言葉は真理をついていた気がする。
反抗はしないけど、いつも『そんなこと言われても・・・
全てわかったような気分になるな!』とは思ってたな。
でもやっぱり親は簡単に子の心なんぞ見破るね。
そう思っちゃうのは結局全部読まれているからなんだよね(笑

やっぱり親ってすごいな・・・。

立派に中2病をやってきました(笑、高校時代。
日本政府を転覆させたいとか、そういう政治的な面では
別段普通だったと信じたいですが、なんていうか自分に対しては
とっても甘くてとってもバカでした。

新聞の広告に『今の若者はすぐに他人を見下して〜』という
一文がありました。僕はその広告をみて
その本を買おうかと考えたほどです(タイトルは失念)

僕じゃないか〜と思って。当時確かに僕は高校の周りの人たち
(一部を除いて・・・話があった人たち、つまりは真田君など)
は大方レベルが低い、と思ってしまいました。
考えてみると本当におかしい話なんですよ、
仮に僕が彼らよりレベルが高いのならば机を並べていることはないんですから(笑
そんなことにも気づけないで本当おかしかったなぁって今は思います。
誰しも経験したことがあるんじゃないかなぁとは思いますがね。
確かに政治の話は通じないし、植木等さんがお亡くなりになったことに悲しむ人はいないんでしょう
(つまり芸能の話もたいして通じないということ)
でもそれって僕と彼らの嗜好が違うだけの話でレベルじゃない。
僕はそういうのがたまたま好きなだけであって
彼らはたまたま俗っぽいことが好きだっただけかもしれない
(この文章ですら素直さを感じないでしょう、まあ・・・)

1年生の時が最もひどかったかもしれない。
ハートの荒廃がね(笑

そのときの僕の気持ちはまるで一人で異文化の外国に来たような気分でした。
僕は常に質問の嵐に遭っていたのです。
(「そんなまじめそうでたのしい?」→悪いか?
「おもしろいと思うことある?」→あるに決まってるだろ
「好きな人居る?」→ごめん中島美嘉命だから
「どうして堅苦しい言葉をつかうの?」→相手が先生だからだよ
「先生なんてどうでもいいだろ?」→どうでもいくない)

そして休み時間の会話も中学校にいた頃より確かに
えーと思うような話のオンパレードだったことは事実でした。
学校の立地もあり、僕の住んでいる街の話は、僕が思っているより
貴重な体験として語られたことも、僕がレベルが低いと思ってしまうその気持ちを助長させたのかもしれません。

僕が一応持っていたステータスっぽいものも、
ふつうの世間からするとなんの役にも立たないばかりか
それらは全て僕よって作られたものではなくて
そこを忘れていた僕は本当に愚かだった・・・と思う。

今はね、マッキーの太陽というアルバムを聴くと泣けて泣けて
仕方がない。こういう謙虚な心をもつということの大切さ
みたいなものをマキオタになってから知ってたはずなのにな。

ただ、もしもこの気持ちを本当に強く貫いていたならば
もしかしたら僕の今年の春は変わっていたかもしれません。
どういう事かと言いますと、この反発心は新たな環境になじめないという
ストレスからでていた側面もありましたので、そのストレスが消えた2年生では、相変わらずの感情を持ちつつも、
自分が自分に妥協というかたちでその感情と示談したのです。

(君ねぇ反発しててもしょうがないだろ?
よく見ろよ、楽しいことを教えてくれる人はいるじゃないか
この学校も悪いところだらけではない・・・そうだよ
人によって評価を変えればいい、まじめそうな人には
心を開いて見るからにそれっぽい人にはそれなりの気持ちを持てばいいのさ)

・・・。つまりだらけたいと思っていた気持ちに
うまく理由付けをしてくれたというわけですね。
本当に全てに反発心を持っていたら僕は学校のカリキュラムに
満足することなく予備校に行っていたでしょうから。
そういう態度は一応ありましたが、結局自分でうやむやにしました。
そのころは学校に沈んでいった頃だったんでしょう。

周りと話をあわせようとしないのに、あわないあわない
と言う人は変です。僕もそれでした。
僕に起きた奇跡は、真田君との出会いでしたが。
真田君が僕と同じ思想を持っているかはわからない
(というかたぶん持ってはないと思う)ですが
偶然好きな物が似てて今に続くまで話が続いてます。
これは本当にいい出会いだと思いました。

高校2年生は誰かが文集で書いていたとおり
比較的穏やかな1年だったのかもしれません。
真田君とよく話をするようになって毎日が楽しかったですからね。
他にもいろいろと楽しいことはありましたけれども。

クラスも比較的落ち着いたクラス・・・でもなかったな。
とんでもないDQNがいたな。でもどこのクラスでもいるよな。

穏やかになった気持ちでしたが、それでもやはり周りに対する評価を変更することはありませんでした。
先ほどの通りを実行していたのです。

[未完]

(31日追記)
続きを書こうと思ったけど最終執筆時間から
20時間以上経ってしまったのでもはや何を書きたかったのか
覚えているわけがないのでここで終わりということで。

今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
空気清浄機を24時間稼働させようと考えているが
外出するときは念のために切ってしまう。。。
まあマミがあんよを吹き出し口に入れてケガをする
可能性は全くないんだけど(物理的に無理)
でも心配・・・。

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