牛丼を食べる [1792号]
2007年1月9日本日の日記
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今日は久しぶりに学校がありました。今年の乗り始め電車は
サハ8983(8183F)
みんなは相変わらずの様子で元気そうでした。
朝、真田君と会いました。
僕はこの連休中にはかなり堕落していた生活を送っていたので
この久しぶりの早起きが、特に辛いということはありませんでした。
ただ、僕の生活は完璧に夜型に移行しておりましたので、
正しい言い方をすると、それは多く睡眠を取っていたから
早起きが辛くなかったのではなくて、もとより眠りにつけなくて
そのまま、起きていたそのままで学校へ向かったからなのです。
心配を受けないように、うちにいるときは寝ぼけ眼を
しておりましたが、本当はしっかりと覚醒しておって
朝の眠気の抜けないつらさは寸分も感じてなかったのです。
しかし、僕には眠気よりもやっかいな問題を抱えていて、
その詳細は過去の日記に譲るが、とにかくひとつ、担任と
談判を開く必要がありました。
(やっかいな問題:
http://diarynote.jp/d/14421/20061222)
僕が教室に入りまして、しばらく同級と話をしていると
同じくセンターを受けるものがやってきて
「本当に冬休み一度も学校こなかったんだな、ってか来いよ」
といいました。僕は笑って
「だってくる意味がないと思うし・・・」
といいました。しかし不安な気持ちが僕を支配していたので
「先生は何か言っていたか」
と付け加えました。僕はその冬の自習に参加した彼なら
先生の僕に対する心持をなにか知っているだろうと思ったのです。
そしてそれを知ることによって、必然的に発生するだろう
談判に備えておこうと思ったのです。
「とくには何も言ってなかったよ、しっかしずるいなぁ」
「そうかい、とくになにもいわなかったってことは、
別に来ようが来まいがどうでもよかったんじゃないの」
僕はすこし安堵しました。しかし、しばらくたった後で
そのことが僕とってなんの解決にもなってないことに気がつきました。
どちらかといえば、少しは僕に対する愚痴を漏らしていてくれた方が、
こちらもまだ作戦を起こすことができたので楽だったのに、
と思いました。
先生と談判が生じる必然的要因とは、進路に関わる書類を
どうしても直接申請する必要があったからなんです。
年末に出しておけばよかったものを、僕の記述があいまいだから
年始にしろ、と担任が言ったのでこうなりました。
真田君に聞きましたら、どうも僕の記述内容でも充分だったようですが、
担任の意向は素直に聞いた方がよいのです(しかし、この考えは
冬休みの登校を無視しているという点で矛盾していることを
僕自身も理解してますが)
しばらくしていると、SHRが始まりました。
先生は調子を崩しているらしく、声がかれてました。
ありがちな新春の句を述べた後で、先生は冗談を言って
生徒を笑わせました。とりあえず僕も合わせるように
乾いた笑いをしておきました。実際それほどおもしろいとは
取れなかったのです。
そのあと学年集会がありまして、年末の大会の表彰だとか
税の作文コンクールの表彰だとか、校長の話だとかで
かなり退屈した時間でありました。40分近く立たされたままだったのですが、
今年に入ってからは寝正月ばかりしていたため、それほど
長く立っていたのは久しぶりでしたから、くたびれました。
鬱屈した状態はその間も続いてました。細事とはいえ、
やはり担任とのいざこざはこの時期には起こしたくなかったのです。
たとえ推薦でなくても、担任にいい印象を与えておくことは
損ではないのですから。
教室にもどりますと、今度は大掃除だ、と始まりました。
体操着に着替えまして僕たちはトイレの大掃除を始めました。
しかし年末に掃除したばかりであるし、冬休み中の利用者も
少なかったと見えて、トイレは比較的清潔さを保っておりました
(と、いってもしゃれた建物の公衆トイレよりは劣る衛生度でありますが)
僕たちはすぐに怠けました。学生で10人も15人も集まれば
まじめに動くのは5人程度で、あとは動いているふりを
しながらだらだらと他愛のないことを話すのです。
僕は見かけ上まじめに見えるので、までめな態度を示しましたが
ある程度気の知れた人たちと、正月の話を楽しみました。
「加藤ローサってゼクシーの頃に評判になったんだってね」
僕が語りかけた相手は、かつていろいろと芸能話をした
彼です。
(参考:
http://diarynote.jp/d/14421/20061029)
「そうそう、あれから一気に人気が出たみたい」
彼は嬉しそうに同意しました。
「でも最近の注目は相武紗季だね!」
(http://www.box-corporation.com/saki_aibu/)
「昨日の深夜の月光音楽団みた?」
「ああ、相武紗季が自宅公開してたやつでしょ、みたよ」
「俺も偶然見たんだけどさ、いやかわいいって思った」
「僕もそう、でもあの部屋がうらやましいと思った
生活感全然無いしさ、おしゃれだし、ドラマのセットみたいだし、
ああいう家に住みたいなって」
「へぇそうなんだ」
「今はちょっとそこら辺をあさると宮崎あおいのものが
いろいろでできたりするような部屋に住んでるけど」
「ははは(笑、じゃあ一人暮らしとか考えてるの?」
「うーん、一人暮らしか無理でしょうね、金銭的に」
他愛のない話をしているときに突然やってきた先生。
僕と彼とその他大勢は一斉に正当なまじめの生徒に
居直りましたが、一人だけ取り残されて叱責を
受けたものがありました。傍目に見てかわいそうだと
哀れんだと同時に、不器用だなとも思いました。
僕は取り繕いが得意な気がします。
実際僕はトイレットペーパーの補充くらいしか仕事をしませんでした。
掃除が終わった後は、いよいよHRになりました。
ここである程度先生の話が終わった後で
自由に会話する時間をもらいました。
まともに逢えるのは今日ぐらいなものだから
(僕の学校では今日以降殆どの日が休みになります)
さて、先生が例の申請書を提出するものは前へ出よ、とおっしゃるので
僕は言われたとおり前に出ました。僕の席は
一番前だったので誰よりも早く到達することができましたが、
誰よりも遅く申請書を提出しました。とくに深い理由はありませんが、やはり心の中で会話を避けたいという気持ちが働いたのでしょう。
僕の番になっていよいよ申請書を出しました。
見本通り記載し、同級と突き合わせして書いたので
記述不備はないだろうと思ってましたが、ひとつ
「大学名の横にセンターか、一般か書いておけ」
と言われました。用はその書類がどんな用途に使われるかを
書けという話なんですが、僕はすでにその書類にある
『用途』という欄で『受験(一般/センター)』と書いてました。
つまり、僕としては提出先に書いてある大学全てに対して
その使い方をするという意味で書いたつもりでした。
(書類からもそういう意味の欄に取れましたし、真田君は
細々とひとつひとつの大学に対して付帯するような書き方はしてませんでした)
自由がきかない人だなぁと思って一言
「こちらに合わせて書いてありますが・・・」
と述べましたが、それは退けられました。
しかたがないから立ちながら書き殴りました。
こんな書類は学校の中だけで使われるものであって
しかも厳格さをたいして求められないルーズな書類なのに
いちいちうるさいなぁ、とも思いました。
不服そうな顔をしながら書類を提出したところ
とくに小言を言われることなく完了しました。
そして自分の席に戻り、またああでもない、こうでもないと
同級と話をしてましたら、また先生に呼ばれました。
先ほどの書類について2、3質問があって、それの回答を
終えた後、いよいよ今後の話になりました。
少し話が前後しますが、書類提出の前に、
先生は我々センター試験のものに
「あさってからまた(冬休み同様に)学校に来るように」と
おっしゃりました。当然不満を覚えた僕でしたが、
冬休み同様に拒否する覚悟を決めてました。
それでいよいよ冬休みのことを聞かれるのかなと
すこし緊張気味に先生と会話を進めました。
「・・・(冬休みこなかったけど)もう学校くるつもりはないのか?」
これは予想外の質問でした。つまり、また同様に拒否をして
登校日まで学校に来るつもりはないのか、と向こうから尋ねてきたのです。
「はい、自宅で勉強した方がいろいろと教材もありまして・・・」
「そうか、それじゃ書類ができたら連絡するから
携帯教えてくれるか」
「はい、あのー090・・・」
「わかった、いまかけてみるからな」
声を枯らした先生は僕を咎める出もなく、
平生通りな様子で淡々とこの問題を片付けていきました。
この先生は少々熱くなるところがあるから、僕の態度に
きっと不満を覚えているに違いないと僕は思ったのですが
案外そうでもなかったようです。
(もっとも、学校の方針としての強制的な参加するものではないし
他のクラスでは行われてないから、僕を叱責するだけの根拠がないんですが)
結構拍子抜けしてしまって、でもそれからは心持ちも明るくなりまして
一層同級との話に花を咲かせました。
そのHRが終わった後は、進路ガイダンスでした。
そこで真田君と会って隣同士の席に座りました。
思えば1年ぶりくらいです(学校で隣同士になるのは)
進路指導部の先生方のありがたい話は、
僕にとってはたいしてありがたくもなく、ありがたくないばかりか、
耳の痛い話ばかりでありました。虫歯をぐりぐりと
えぐられる、そんな感覚さえも感じた気がします。
「つらい話ばかりだったね」
僕は真田君にいいました。
僕と真田君はもともとこの日に書類に貼る写真を
撮りに行こうと約束をしておりました。
そんなわけでまた僕の地元まで来ていただき、
ひとまずお昼を食べて、写真の枚数の打ち合わせをしてから
写真を撮りに行こうということになりました。
吉野家で、券売機で1000円を使おうとする真田君でしたが
なんど試してもあっかんべーをするみたいに、券売機は
決してその1000円を受け付ける事はありませんでした。
「あっちの券売機ならどうでしょうかね」
その店には2台の券売機があったので、そちらでも
試しますが、また・・・。
「私が小銭で買います」
ちょうど朝、1万で切符を買ったので、小銭を
じゃらつかせてましたので、僕が真田君の分も合わせて
買うことにしました。
豚丼のボタンを押そうとしたとき
「豚丼でいいんですか」
と真田君は尋ねました。そうだ、そういえば牛丼も売ってるんだったな・・・と迷いました。
豚丼と牛丼を天秤にかけますと、どちらかが勝っている
ということは僕にはないのです。基本的に食事には
あまりこだわりがないので。
優柔不断な僕は真田君に判断をお任せしようと、
「さき、どうぞ」
と譲りました。真田君はいいんですか、と尋ねながらも
牛丼とたまごを買いましたので、僕も合わせて
それを買いました。
吉野家では窮屈だし、気持ちの安らぎがないから、
僕の自宅で食べようという話になりまして、
僕らはそれらを持ち帰って自宅で食いました。
予定していた写真店も自宅近くにあり、ちょうどよかったのです。
しかし牛丼を食べ終えた僕らはだんだんと
写真を撮りに行くのが面倒になり、真田君が
「うちの近所ならもっと安く仕上がったと思うんですけど・・・」
と言ったので、近所で写真を撮るのは取りやめにしました。
結局どのみち僕の場合は、今日じゃなくても明日じゃなくても
5日後じゃなくても、学校に請求した書類が届かない限り
申し込みができないので、いつ写真を撮っても変わりはないんです。
そんなこともあってやめました。
真田君とはその後どこの大学を受けるだのなんだのと雑談をし、
すこし話が逸れて年末年始に放映したCDTVスペシャルを
少しだけ見ました。93〜2000年くらいまでの懐メロが
いろいろと流れたのですが、僕らは大方歌えました。
でも真田君の方が多く知ってました。
僕はしきりに真田君に「よく知ってるねぇ」という言葉を
使いました。最近の高校生だと、でも
95年あたりの懐メロでも(知っているかが)怪しい
という話を聞きまして、日本オワタ\(^O^)/と思いました。
まあ知っていようがいまいがどうでも良いんですけど。。。
スチャダラパー!
昔は木梨憲武とか内村光良がマッキーのモノマネをしてたっけね。
岡村隆史も、CDTVのパロディーをめちゃイケでやって
マッキーの真似してた・・・。
そのあとは、真田君を駅までお送りするついでに
回数券を買ってきました。お恥ずかしいことに回数券を
買った経験が無く、券売機で買えるとは知りませんでした
(たぶん買えるだろうという認識はありましたが・・・)
普段は定期でしたし、遠出するときぐらいしか
券売機は利用しませんので。。。
戸惑いながらも、なんとか5往復分の切符が買えました。
パスネットを買うかかなり迷ったんですが、
料金が中途半端で、回数券なら1枚おまけが来るので
こちらにしました。
今日はそんな1日でした。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もいつもどおりテレビとベッドの上で寝ておりました。
あとは変わったことはとくには無いですねぇ。
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今日は久しぶりに学校がありました。今年の乗り始め電車は
サハ8983(8183F)
みんなは相変わらずの様子で元気そうでした。
朝、真田君と会いました。
僕はこの連休中にはかなり堕落していた生活を送っていたので
この久しぶりの早起きが、特に辛いということはありませんでした。
ただ、僕の生活は完璧に夜型に移行しておりましたので、
正しい言い方をすると、それは多く睡眠を取っていたから
早起きが辛くなかったのではなくて、もとより眠りにつけなくて
そのまま、起きていたそのままで学校へ向かったからなのです。
心配を受けないように、うちにいるときは寝ぼけ眼を
しておりましたが、本当はしっかりと覚醒しておって
朝の眠気の抜けないつらさは寸分も感じてなかったのです。
しかし、僕には眠気よりもやっかいな問題を抱えていて、
その詳細は過去の日記に譲るが、とにかくひとつ、担任と
談判を開く必要がありました。
(やっかいな問題:
http://diarynote.jp/d/14421/20061222)
僕が教室に入りまして、しばらく同級と話をしていると
同じくセンターを受けるものがやってきて
「本当に冬休み一度も学校こなかったんだな、ってか来いよ」
といいました。僕は笑って
「だってくる意味がないと思うし・・・」
といいました。しかし不安な気持ちが僕を支配していたので
「先生は何か言っていたか」
と付け加えました。僕はその冬の自習に参加した彼なら
先生の僕に対する心持をなにか知っているだろうと思ったのです。
そしてそれを知ることによって、必然的に発生するだろう
談判に備えておこうと思ったのです。
「とくには何も言ってなかったよ、しっかしずるいなぁ」
「そうかい、とくになにもいわなかったってことは、
別に来ようが来まいがどうでもよかったんじゃないの」
僕はすこし安堵しました。しかし、しばらくたった後で
そのことが僕とってなんの解決にもなってないことに気がつきました。
どちらかといえば、少しは僕に対する愚痴を漏らしていてくれた方が、
こちらもまだ作戦を起こすことができたので楽だったのに、
と思いました。
先生と談判が生じる必然的要因とは、進路に関わる書類を
どうしても直接申請する必要があったからなんです。
年末に出しておけばよかったものを、僕の記述があいまいだから
年始にしろ、と担任が言ったのでこうなりました。
真田君に聞きましたら、どうも僕の記述内容でも充分だったようですが、
担任の意向は素直に聞いた方がよいのです(しかし、この考えは
冬休みの登校を無視しているという点で矛盾していることを
僕自身も理解してますが)
しばらくしていると、SHRが始まりました。
先生は調子を崩しているらしく、声がかれてました。
ありがちな新春の句を述べた後で、先生は冗談を言って
生徒を笑わせました。とりあえず僕も合わせるように
乾いた笑いをしておきました。実際それほどおもしろいとは
取れなかったのです。
そのあと学年集会がありまして、年末の大会の表彰だとか
税の作文コンクールの表彰だとか、校長の話だとかで
かなり退屈した時間でありました。40分近く立たされたままだったのですが、
今年に入ってからは寝正月ばかりしていたため、それほど
長く立っていたのは久しぶりでしたから、くたびれました。
鬱屈した状態はその間も続いてました。細事とはいえ、
やはり担任とのいざこざはこの時期には起こしたくなかったのです。
たとえ推薦でなくても、担任にいい印象を与えておくことは
損ではないのですから。
教室にもどりますと、今度は大掃除だ、と始まりました。
体操着に着替えまして僕たちはトイレの大掃除を始めました。
しかし年末に掃除したばかりであるし、冬休み中の利用者も
少なかったと見えて、トイレは比較的清潔さを保っておりました
(と、いってもしゃれた建物の公衆トイレよりは劣る衛生度でありますが)
僕たちはすぐに怠けました。学生で10人も15人も集まれば
まじめに動くのは5人程度で、あとは動いているふりを
しながらだらだらと他愛のないことを話すのです。
僕は見かけ上まじめに見えるので、までめな態度を示しましたが
ある程度気の知れた人たちと、正月の話を楽しみました。
「加藤ローサってゼクシーの頃に評判になったんだってね」
僕が語りかけた相手は、かつていろいろと芸能話をした
彼です。
(参考:
http://diarynote.jp/d/14421/20061029)
「そうそう、あれから一気に人気が出たみたい」
彼は嬉しそうに同意しました。
「でも最近の注目は相武紗季だね!」
(http://www.box-corporation.com/saki_aibu/)
「昨日の深夜の月光音楽団みた?」
「ああ、相武紗季が自宅公開してたやつでしょ、みたよ」
「俺も偶然見たんだけどさ、いやかわいいって思った」
「僕もそう、でもあの部屋がうらやましいと思った
生活感全然無いしさ、おしゃれだし、ドラマのセットみたいだし、
ああいう家に住みたいなって」
「へぇそうなんだ」
「今はちょっとそこら辺をあさると宮崎あおいのものが
いろいろでできたりするような部屋に住んでるけど」
「ははは(笑、じゃあ一人暮らしとか考えてるの?」
「うーん、一人暮らしか無理でしょうね、金銭的に」
他愛のない話をしているときに突然やってきた先生。
僕と彼とその他大勢は一斉に正当なまじめの生徒に
居直りましたが、一人だけ取り残されて叱責を
受けたものがありました。傍目に見てかわいそうだと
哀れんだと同時に、不器用だなとも思いました。
僕は取り繕いが得意な気がします。
実際僕はトイレットペーパーの補充くらいしか仕事をしませんでした。
掃除が終わった後は、いよいよHRになりました。
ここである程度先生の話が終わった後で
自由に会話する時間をもらいました。
まともに逢えるのは今日ぐらいなものだから
(僕の学校では今日以降殆どの日が休みになります)
さて、先生が例の申請書を提出するものは前へ出よ、とおっしゃるので
僕は言われたとおり前に出ました。僕の席は
一番前だったので誰よりも早く到達することができましたが、
誰よりも遅く申請書を提出しました。とくに深い理由はありませんが、やはり心の中で会話を避けたいという気持ちが働いたのでしょう。
僕の番になっていよいよ申請書を出しました。
見本通り記載し、同級と突き合わせして書いたので
記述不備はないだろうと思ってましたが、ひとつ
「大学名の横にセンターか、一般か書いておけ」
と言われました。用はその書類がどんな用途に使われるかを
書けという話なんですが、僕はすでにその書類にある
『用途』という欄で『受験(一般/センター)』と書いてました。
つまり、僕としては提出先に書いてある大学全てに対して
その使い方をするという意味で書いたつもりでした。
(書類からもそういう意味の欄に取れましたし、真田君は
細々とひとつひとつの大学に対して付帯するような書き方はしてませんでした)
自由がきかない人だなぁと思って一言
「こちらに合わせて書いてありますが・・・」
と述べましたが、それは退けられました。
しかたがないから立ちながら書き殴りました。
こんな書類は学校の中だけで使われるものであって
しかも厳格さをたいして求められないルーズな書類なのに
いちいちうるさいなぁ、とも思いました。
不服そうな顔をしながら書類を提出したところ
とくに小言を言われることなく完了しました。
そして自分の席に戻り、またああでもない、こうでもないと
同級と話をしてましたら、また先生に呼ばれました。
先ほどの書類について2、3質問があって、それの回答を
終えた後、いよいよ今後の話になりました。
少し話が前後しますが、書類提出の前に、
先生は我々センター試験のものに
「あさってからまた(冬休み同様に)学校に来るように」と
おっしゃりました。当然不満を覚えた僕でしたが、
冬休み同様に拒否する覚悟を決めてました。
それでいよいよ冬休みのことを聞かれるのかなと
すこし緊張気味に先生と会話を進めました。
「・・・(冬休みこなかったけど)もう学校くるつもりはないのか?」
これは予想外の質問でした。つまり、また同様に拒否をして
登校日まで学校に来るつもりはないのか、と向こうから尋ねてきたのです。
「はい、自宅で勉強した方がいろいろと教材もありまして・・・」
「そうか、それじゃ書類ができたら連絡するから
携帯教えてくれるか」
「はい、あのー090・・・」
「わかった、いまかけてみるからな」
声を枯らした先生は僕を咎める出もなく、
平生通りな様子で淡々とこの問題を片付けていきました。
この先生は少々熱くなるところがあるから、僕の態度に
きっと不満を覚えているに違いないと僕は思ったのですが
案外そうでもなかったようです。
(もっとも、学校の方針としての強制的な参加するものではないし
他のクラスでは行われてないから、僕を叱責するだけの根拠がないんですが)
結構拍子抜けしてしまって、でもそれからは心持ちも明るくなりまして
一層同級との話に花を咲かせました。
そのHRが終わった後は、進路ガイダンスでした。
そこで真田君と会って隣同士の席に座りました。
思えば1年ぶりくらいです(学校で隣同士になるのは)
進路指導部の先生方のありがたい話は、
僕にとってはたいしてありがたくもなく、ありがたくないばかりか、
耳の痛い話ばかりでありました。虫歯をぐりぐりと
えぐられる、そんな感覚さえも感じた気がします。
「つらい話ばかりだったね」
僕は真田君にいいました。
僕と真田君はもともとこの日に書類に貼る写真を
撮りに行こうと約束をしておりました。
そんなわけでまた僕の地元まで来ていただき、
ひとまずお昼を食べて、写真の枚数の打ち合わせをしてから
写真を撮りに行こうということになりました。
吉野家で、券売機で1000円を使おうとする真田君でしたが
なんど試してもあっかんべーをするみたいに、券売機は
決してその1000円を受け付ける事はありませんでした。
「あっちの券売機ならどうでしょうかね」
その店には2台の券売機があったので、そちらでも
試しますが、また・・・。
「私が小銭で買います」
ちょうど朝、1万で切符を買ったので、小銭を
じゃらつかせてましたので、僕が真田君の分も合わせて
買うことにしました。
豚丼のボタンを押そうとしたとき
「豚丼でいいんですか」
と真田君は尋ねました。そうだ、そういえば牛丼も売ってるんだったな・・・と迷いました。
豚丼と牛丼を天秤にかけますと、どちらかが勝っている
ということは僕にはないのです。基本的に食事には
あまりこだわりがないので。
優柔不断な僕は真田君に判断をお任せしようと、
「さき、どうぞ」
と譲りました。真田君はいいんですか、と尋ねながらも
牛丼とたまごを買いましたので、僕も合わせて
それを買いました。
吉野家では窮屈だし、気持ちの安らぎがないから、
僕の自宅で食べようという話になりまして、
僕らはそれらを持ち帰って自宅で食いました。
予定していた写真店も自宅近くにあり、ちょうどよかったのです。
しかし牛丼を食べ終えた僕らはだんだんと
写真を撮りに行くのが面倒になり、真田君が
「うちの近所ならもっと安く仕上がったと思うんですけど・・・」
と言ったので、近所で写真を撮るのは取りやめにしました。
結局どのみち僕の場合は、今日じゃなくても明日じゃなくても
5日後じゃなくても、学校に請求した書類が届かない限り
申し込みができないので、いつ写真を撮っても変わりはないんです。
そんなこともあってやめました。
真田君とはその後どこの大学を受けるだのなんだのと雑談をし、
すこし話が逸れて年末年始に放映したCDTVスペシャルを
少しだけ見ました。93〜2000年くらいまでの懐メロが
いろいろと流れたのですが、僕らは大方歌えました。
でも真田君の方が多く知ってました。
僕はしきりに真田君に「よく知ってるねぇ」という言葉を
使いました。最近の高校生だと、でも
95年あたりの懐メロでも(知っているかが)怪しい
という話を聞きまして、日本オワタ\(^O^)/と思いました。
まあ知っていようがいまいがどうでも良いんですけど。。。
スチャダラパー!
昔は木梨憲武とか内村光良がマッキーのモノマネをしてたっけね。
岡村隆史も、CDTVのパロディーをめちゃイケでやって
マッキーの真似してた・・・。
そのあとは、真田君を駅までお送りするついでに
回数券を買ってきました。お恥ずかしいことに回数券を
買った経験が無く、券売機で買えるとは知りませんでした
(たぶん買えるだろうという認識はありましたが・・・)
普段は定期でしたし、遠出するときぐらいしか
券売機は利用しませんので。。。
戸惑いながらも、なんとか5往復分の切符が買えました。
パスネットを買うかかなり迷ったんですが、
料金が中途半端で、回数券なら1枚おまけが来るので
こちらにしました。
今日はそんな1日でした。
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もいつもどおりテレビとベッドの上で寝ておりました。
あとは変わったことはとくには無いですねぇ。
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