本日の日記
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きっとこの先ずーっと隣国の方々とは仲良くできないのだろうなぁ(´・ω・`)
と太田総理の番組(名前失念)を見て思いました。
太田総理はいちいちアメリカ批判につなげなければ、やや共感
できる部分もあるのに残念です。紗理奈の発言がもっとも
真実だったかも(いつまでも恨み辛みを持っていたのでは
何の進歩もない、という主張だったような)まあ確かに、
日本国民がアメリカに対してハンガーストライキみたいなことを
やることもないし、アメリカの旗燃やしたりしてませんもんね
(何故か日本人自身が、日の丸や君が代を否定することはあるけれども)

・・・まあいいです。今日はたっぷり眠りました(いつもだが)

何故かまた変な夢を見まして、何故か夢に伊東美咲が
エルメスっぽく登場する夢でした。
(で、何故か携帯でメールができた夢だった。で、そこに
最近色気づいている僕の従兄弟が登場してちょっとした
奪い合いになる。


『俺のメール(の本文)の方が長文だぞ!!!1(敢えて1)』

いとこ
『orz』

・・・というどうしようもない夢だった。

僕は、伊東美咲と二人きりになれそうになったのだが、
タイミング悪く、親戚のおばさんが、邪魔くさく割り込んでくる・・・多分
お盆で親戚が集まるぞ、っていう潜在的な意識がそういう風な
夢にさせたのかと・・・どうして伊東美咲だったのかは不明だが)

とくに仲良くなれるとか、なんか電車男みたいな展開が
あるような夢では無かったのですけれども、なんで
伊東美咲なんだ、と起きてから思いました。

参考資料:伊東美咲様のBLOG
http://www.ken-on.co.jp/misakiBlog/main/

夢に勝手に登場させて申し訳ございませんでした_| ̄|○

僕は夢はそれなりに見る方なんですけど、具体的な人物が
出てくることは殆ど無く(知らない人が殆ど)具体的な
人物だとハッキリわかった夢を見ることは、非常にめずらしいですよ。

さて、惰性で進行のこの日記でございますが、今日はまた
想い出語りでもしようかと。昨日の夜日記を置き終えたあとで
ふとそのころのことを思い出して、日記のネタに出来るなぁ
と思いまして・・・まあ追記しようかなと思ったのですが
大切なネタですから(笑 今日書くことにしました。

小学校の頃の思いで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
▼Hamuteru小学一年の時、初めての学童保育で転んで治療を受ける。

学童保育がどういうものかっていうのはご存じでない方も
いらっしゃると思うので軽く解説いたしますが、
児童の親が放課後例えば働きに出ているとか、あるいは
それ以外で充分に面倒が見られないときに、親に変わって
子供の保育するのが学童(保育)です。

ちょっと妙な言い回しですが、要するに保育園の小学校版と
受け取っても差し支えないかと。最近は共働きの
親が多いので預けられる児童の人数も増えているらしいですが。。。

こういう学童は、大方学校の施設内にあることが多いです。
僕が預けられていた学童も小学校の施設内にありました。
(もともとは教室だった場所を改装したようだった)

その学童保育は〜休みでも開かれており、小学校に入学する前
辺りから初めての顔合わせとして学童へ向かった記憶があります。

そのまま仕事に向かう親を追っかけたのか、あるいは学童へ
走ったのか忘れましたが、とにかく転んで怪我しました(’A`)

先生は優しく看護してくれたような・・・。

▼Hamuteru小学2〜3年生の時、同級とトラブルになる

具体的には忘れちゃったんですけど、僕はその時既に
嫌いな人物が出来てました。それはかつて日記にも
登場したことがあって、
http://diarynote.jp/d/14421/20030629.html
この日記のKazと書かれている人物がそう。

この人はとにかくちょっと屈折している感じの人だった。
まあインターネットに悪口書いている時点で僕も
頭のおかしいやつだけども。

そいつとどんなトラブルになったかというと、
よくある子供のケンカだったのだが・・・。

僕とKaz(以下Kとす)ともうひとり、女の子のAという人物がいて
僕ら3人はお店屋さんごっこをするほど仲のよい感じだった。

以下やりとりを書くけど、全部うろ覚え(そりゃもう何年も昔の
話だからね)だし、
大方誰から言ったくらいしかあってないと思う。まあ
思い出話ですから。

そもそも僕がそのお店屋さんごっこに参加したのは(初期メンバーではない)
その店で売っている商品を買ったことに由来する。


「これください」

A
「はいどうぞ」

そこで出されたアイスみたいなものに深く落胆した僕は
技術的改良の提案をした(というか、そこら辺に画用紙が
落ちてたから、僕が勝手に作った)

当時AとKが売っていたアイスには問題があった。それは、
通常アイスのコーンとは、きれいな円錐であるはずなのに、
半球のアイス(*1)が乗っかる部分の一部が三角に・・・
というかとがっていた。
(*1:実際はそう見えるだけ)

実は既に社員(店員?)がいて、・・・要するに下級生のこと
なんだけど、彼らが作らされていたアイスの製作過程を
見たら、四角形の紙をそのまま丸めているようであった。


「こうしたら良いんじゃないかな・・・」

僕は、それら扇形に切ってコーンを作ってみた。
まあ市販品のマネっこ。

下級生
「すごいねぇ・・・こういう風に作ってみる!」

その光景をみていたAが(男女雇用機会均等法の影響もあってか
このAが店長だった)

A
「是非とも私の店に参加して欲しい」
などと言ったような、言わなかったような・・・。

それから数日・・・アイスはなかなか好評だった。
だが・・・。


「なんか飽きたから画期的なものを作りたいな」

K
「なにがあるかな」

僕?
「なんだろ、機械的なもの・・・自動販売機とか」
(これは僕からか、Kからか、はかなり怪しい)

とにかく段ボールで自動販売機を作ることにした。

これには紛れもなく僕も製作に関わっている。
具体的な技術提案までしたかはもう忘れたが、
初期のものには不備が多く僕が、Kが、少しずつ
手を加えて最終的にはビルド8179(何この数字)くらいで
公開にこぎつけた。

その自動販売機のギミックは非常に簡素で、
ボタン部分は段ボールを四角に切り取って
穴を開けて実装するのではなくて、上部だけ残してコの字に
切ることによって押せるようにする(戻らないエラーが
発生したときは人間が再起動する)
そのボタンの後ろに品物(牛乳パック製)を仕込んでおく
押されたときの力で商品が転げ落ちる(商品が置かれているところは
それぐらいの安定さしか意図的に確保してない)
そして下の取り出し口から品物が出てくる。

という単純なものだった(よく覚えているな)

しかし、エラー処理に多く不備を残していたこのシステムは
たびたび不具合を起こしいささか不便だった。

エラー事例:
1.お客さんがボタンを力任せに押すので、ボタンが折れる
2.自動販売機を下手に動かすと品物が全て転げ落ちる
3.1と似ているが、力任せの時に衝撃も加わると
ボタンを押してない商品まで転げ落ちる。
4.叩かれた・揺らされたとった想定できる扱いに対処していない。

まあ小学生だらけの集団だったので、そんな自動販売機でも
大変好評で、今までお店屋さんごっこに見向きもしなかった連中
までもが、それのボタンを押すためにやってきたりした。

その作品は先生も高く評価したのだが・・・。

ある日、僕が小学校の校内を歩いているとき、見つけてしまったのである。

夏休みの課題としてよくある
アイディアコンクールの応募作品として出品されている
自動販売機を!


紛れもなく僕も製作に関わったあの自動販売機だった。
(僕だって技術的改良に加わっていたのに!)
もう怒りというか、ただ呆れた・・・。そうかそういうことが
平気で出来るやつだったんだなぁ、と。

僕はKへの不満を募らせるのであった
(改めて書くけど、小学校2〜3年生の時の話)

まるで技術指導をしたら、そのまんまコピーされた
国内業者みたいにな気分に陥った僕であったが、しかし
果報もあった。

A
「2号店ではHamuを支店長にしようと思う」

小学生ながらなかなかの出世だ!


「ホントウかい?そりゃ嬉しいね」

その地位というよりも、自分が全てをコントロールできる店が
出来ることが嬉しかったのだろうと思う。思い返すと、
A→K→僕という流れが出来ていたようにも思うし、
自分が立案したって貢献したって夏休みのコンクールで
横取りされたんじゃ面白くないわっ!って思っていたような気がする
(どこかの誰かが言っていたけど、想い出とは都合の良いように
改変されるから鵜呑みにしないように)

ちなみに、夏休みの作品はされなりに評価されるどころか
賞状までもらっていた気がする、もちろんKひとりの名義で

しかし、いざそうなるぞ、といったときに、Aが突然
A
「やっぱり新店長はKにする・・・」
と言いだした


「どうしてだ!、僕って言ってたじゃないか!」

A
「まあそうしたいのは山々なんだけど、結局Kが
先に入ってきたわけだし・・・」

時代は1996〜7年頃、まだまだ年功序列が崩れていない
時代でした(なんだかめちゃくちゃだな)


「納得できないよ!アイスの件でも自動販売機でも
それなりに貢献したつもりだったけど・・・」

A
「そういわないでよ、順番だから」


「俺よりKが適任ってわけか・・・そうか・・・」

僕は悔しくって泣いてしまった。今でも覚えている。
会社に認められない悔しさを早くも知った僕は泣き崩れた。

僕は母親に泣き顔を見せることがあまり無かったので
(見せるのが嫌だった)泣いたのを誤魔化すために
顔を洗うことにした。

そしたらちょうど先生もいて

先生
「何かあったの?もめてたみたいだけど・・・大丈夫?」


「大丈夫です。ちょっとしたことですから」

僕はぼろい蛇口でばしゃばしゃ顔を洗った。

結局高笑いするKに我慢できなくなった僕はその後すぐに
退職届を提出して(まあ実際は口頭)お店屋さんから抜けてしまった。

そんなとき新しい友達Sが出来て、そいつとよく遊ぶようになった。

お店屋さんごっこは相変わらず繁盛して、とうとう学童全体で
模擬店をやるほどになり、僕とSも店を開く。

されど、いわれのない中傷をKから受けたり、かなりいろいろ
些細な嫌がらせがあり、ついに僕とSは抗議文を
AとKの店に向けて発行する。

どんな内容か忘れてしまったが2005年の:pRess並みに
毒めいた文章だった気がする。

ところが運悪く(というか要領よくKが先生に通報)
見つかってしまい、僕とSは先生によって身柄を拘束された
(つまり、親が迎えに来るまで反省してそこに座ってなさい
ってこと)

僕とSは悲しかった。僕らの正当性を主張したかったのだが
もうとにかく事を早く終わらせて家に帰りたいと思った。

ちなみに先生に通報後Kも返事を僕らによこしている。

Kと僕とSと、それらの親と先生で話し合いがもたれた。
黙秘権の行使も出来ず、いろいろ言わされて
最終的には僕らが全面的に謝罪することとなった。

特に先生に呼び出されたり(向かいに来た後で
ついでの話し合いだったから呼び出されたのではないが)
したことがなかった僕であったのだが、そんな僕が
起こした事件に母親も驚いている様子だった。

さいたま地方裁判所からの帰り道(うそ)
僕は母親に弁明した。言い訳がうまくなったのは、このときの
経験からかも。


「あんたねぇ、いや、確かに相手が悪いのはわかったけど
それをちゃんと言わないと、結局自分が不利になるだけなんだよ
ここでぐたぐたいうなら、ちゃんとあのとき言えばよかったのよ」


「帰りたかったから・・・」

これ以降、言いたいことはきちんと言おうとここに決めるのであった
(そして予備校のCFとぶつかるのであった笑)

それ以降Kとはあまり話をすることはなくなった。
世間話のようなものはあったけど、やっぱり
もやもやは消えなかった。

でもまあ、その後はつまらないお店屋さんは卒業して

上級生(4〜5年生)のお姉さんとばかり遊んでたんだけど(笑
(転落してるじゃん・・・)

今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日はゆっくり眠りました。とくに理由はないけど
やっと目覚めたら、マミも起きてきて、一緒に
リビングでだらだらとしておりました。

マミと初めてあったときは小学生だったんだもんなぁ・・・
なんか信じられない(’A`)

コメント

万華鏡
2006年8月12日14:15

学童でなにして遊んでいたかなんて覚えてねー(笑)

Hamuteru
Hamuteru
2006年8月13日5:02

やっぱり潜在的にいつか日記のネタにしようという意識があった・・・
わけないよな。
みんな覚えてないものなんだな・・・。

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