小学校のおもいで [1638号]
2006年8月11日コメント (2)本日の日記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きっとこの先ずーっと隣国の方々とは仲良くできないのだろうなぁ(´・ω・`)
と太田総理の番組(名前失念)を見て思いました。
太田総理はいちいちアメリカ批判につなげなければ、やや共感
できる部分もあるのに残念です。紗理奈の発言がもっとも
真実だったかも(いつまでも恨み辛みを持っていたのでは
何の進歩もない、という主張だったような)まあ確かに、
日本国民がアメリカに対してハンガーストライキみたいなことを
やることもないし、アメリカの旗燃やしたりしてませんもんね
(何故か日本人自身が、日の丸や君が代を否定することはあるけれども)
・・・まあいいです。今日はたっぷり眠りました(いつもだが)
何故かまた変な夢を見まして、何故か夢に伊東美咲が
エルメスっぽく登場する夢でした。
(で、何故か携帯でメールができた夢だった。で、そこに
最近色気づいている僕の従兄弟が登場してちょっとした
奪い合いになる。
僕
『俺のメール(の本文)の方が長文だぞ!!!1(敢えて1)』
いとこ
『orz』
・・・というどうしようもない夢だった。
僕は、伊東美咲と二人きりになれそうになったのだが、
タイミング悪く、親戚のおばさんが、邪魔くさく割り込んでくる・・・多分
お盆で親戚が集まるぞ、っていう潜在的な意識がそういう風な
夢にさせたのかと・・・どうして伊東美咲だったのかは不明だが)
とくに仲良くなれるとか、なんか電車男みたいな展開が
あるような夢では無かったのですけれども、なんで
伊東美咲なんだ、と起きてから思いました。
参考資料:伊東美咲様のBLOG
http://www.ken-on.co.jp/misakiBlog/main/
夢に勝手に登場させて申し訳ございませんでした_| ̄|○
僕は夢はそれなりに見る方なんですけど、具体的な人物が
出てくることは殆ど無く(知らない人が殆ど)具体的な
人物だとハッキリわかった夢を見ることは、非常にめずらしいですよ。
さて、惰性で進行のこの日記でございますが、今日はまた
想い出語りでもしようかと。昨日の夜日記を置き終えたあとで
ふとそのころのことを思い出して、日記のネタに出来るなぁ
と思いまして・・・まあ追記しようかなと思ったのですが
大切なネタですから(笑 今日書くことにしました。
小学校の頃の思いで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
▼Hamuteru小学一年の時、初めての学童保育で転んで治療を受ける。
学童保育がどういうものかっていうのはご存じでない方も
いらっしゃると思うので軽く解説いたしますが、
児童の親が放課後例えば働きに出ているとか、あるいは
それ以外で充分に面倒が見られないときに、親に変わって
子供の保育するのが学童(保育)です。
ちょっと妙な言い回しですが、要するに保育園の小学校版と
受け取っても差し支えないかと。最近は共働きの
親が多いので預けられる児童の人数も増えているらしいですが。。。
こういう学童は、大方学校の施設内にあることが多いです。
僕が預けられていた学童も小学校の施設内にありました。
(もともとは教室だった場所を改装したようだった)
その学童保育は〜休みでも開かれており、小学校に入学する前
辺りから初めての顔合わせとして学童へ向かった記憶があります。
そのまま仕事に向かう親を追っかけたのか、あるいは学童へ
走ったのか忘れましたが、とにかく転んで怪我しました(’A`)
先生は優しく看護してくれたような・・・。
▼Hamuteru小学2〜3年生の時、同級とトラブルになる
具体的には忘れちゃったんですけど、僕はその時既に
嫌いな人物が出来てました。それはかつて日記にも
登場したことがあって、
http://diarynote.jp/d/14421/20030629.html
この日記のKazと書かれている人物がそう。
この人はとにかくちょっと屈折している感じの人だった。
まあインターネットに悪口書いている時点で僕も
頭のおかしいやつだけども。
そいつとどんなトラブルになったかというと、
よくある子供のケンカだったのだが・・・。
僕とKaz(以下Kとす)ともうひとり、女の子のAという人物がいて
僕ら3人はお店屋さんごっこをするほど仲のよい感じだった。
以下やりとりを書くけど、全部うろ覚え(そりゃもう何年も昔の
話だからね)だし、
大方誰から言ったくらいしかあってないと思う。まあ
思い出話ですから。
そもそも僕がそのお店屋さんごっこに参加したのは(初期メンバーではない)
その店で売っている商品を買ったことに由来する。
僕
「これください」
A
「はいどうぞ」
そこで出されたアイスみたいなものに深く落胆した僕は
技術的改良の提案をした(というか、そこら辺に画用紙が
落ちてたから、僕が勝手に作った)
当時AとKが売っていたアイスには問題があった。それは、
通常アイスのコーンとは、きれいな円錐であるはずなのに、
半球のアイス(*1)が乗っかる部分の一部が三角に・・・
というかとがっていた。
(*1:実際はそう見えるだけ)
実は既に社員(店員?)がいて、・・・要するに下級生のこと
なんだけど、彼らが作らされていたアイスの製作過程を
見たら、四角形の紙をそのまま丸めているようであった。
僕
「こうしたら良いんじゃないかな・・・」
僕は、それら扇形に切ってコーンを作ってみた。
まあ市販品のマネっこ。
下級生
「すごいねぇ・・・こういう風に作ってみる!」
その光景をみていたAが(男女雇用機会均等法の影響もあってか
このAが店長だった)
A
「是非とも私の店に参加して欲しい」
などと言ったような、言わなかったような・・・。
それから数日・・・アイスはなかなか好評だった。
だが・・・。
僕
「なんか飽きたから画期的なものを作りたいな」
K
「なにがあるかな」
僕?
「なんだろ、機械的なもの・・・自動販売機とか」
(これは僕からか、Kからか、はかなり怪しい)
とにかく段ボールで自動販売機を作ることにした。
これには紛れもなく僕も製作に関わっている。
具体的な技術提案までしたかはもう忘れたが、
初期のものには不備が多く僕が、Kが、少しずつ
手を加えて最終的にはビルド8179(何この数字)くらいで
公開にこぎつけた。
その自動販売機のギミックは非常に簡素で、
ボタン部分は段ボールを四角に切り取って
穴を開けて実装するのではなくて、上部だけ残してコの字に
切ることによって押せるようにする(戻らないエラーが
発生したときは人間が再起動する)
そのボタンの後ろに品物(牛乳パック製)を仕込んでおく
押されたときの力で商品が転げ落ちる(商品が置かれているところは
それぐらいの安定さしか意図的に確保してない)
そして下の取り出し口から品物が出てくる。
という単純なものだった(よく覚えているな)
しかし、エラー処理に多く不備を残していたこのシステムは
たびたび不具合を起こしいささか不便だった。
エラー事例:
1.お客さんがボタンを力任せに押すので、ボタンが折れる
2.自動販売機を下手に動かすと品物が全て転げ落ちる
3.1と似ているが、力任せの時に衝撃も加わると
ボタンを押してない商品まで転げ落ちる。
4.叩かれた・揺らされたとった想定できる扱いに対処していない。
まあ小学生だらけの集団だったので、そんな自動販売機でも
大変好評で、今までお店屋さんごっこに見向きもしなかった連中
までもが、それのボタンを押すためにやってきたりした。
その作品は先生も高く評価したのだが・・・。
ある日、僕が小学校の校内を歩いているとき、見つけてしまったのである。
夏休みの課題としてよくある
アイディアコンクールの応募作品として出品されている
自動販売機を!
紛れもなく僕も製作に関わったあの自動販売機だった。
(僕だって技術的改良に加わっていたのに!)
もう怒りというか、ただ呆れた・・・。そうかそういうことが
平気で出来るやつだったんだなぁ、と。
僕はKへの不満を募らせるのであった
(改めて書くけど、小学校2〜3年生の時の話)
まるで技術指導をしたら、そのまんまコピーされた
国内業者みたいにな気分に陥った僕であったが、しかし
果報もあった。
A
「2号店ではHamuを支店長にしようと思う」
小学生ながらなかなかの出世だ!
僕
「ホントウかい?そりゃ嬉しいね」
その地位というよりも、自分が全てをコントロールできる店が
出来ることが嬉しかったのだろうと思う。思い返すと、
A→K→僕という流れが出来ていたようにも思うし、
自分が立案したって貢献したって夏休みのコンクールで
横取りされたんじゃ面白くないわっ!って思っていたような気がする
(どこかの誰かが言っていたけど、想い出とは都合の良いように
改変されるから鵜呑みにしないように)
ちなみに、夏休みの作品はされなりに評価されるどころか
賞状までもらっていた気がする、もちろんKひとりの名義で
しかし、いざそうなるぞ、といったときに、Aが突然
A
「やっぱり新店長はKにする・・・」
と言いだした
僕
「どうしてだ!、僕って言ってたじゃないか!」
A
「まあそうしたいのは山々なんだけど、結局Kが
先に入ってきたわけだし・・・」
時代は1996〜7年頃、まだまだ年功序列が崩れていない
時代でした(なんだかめちゃくちゃだな)
僕
「納得できないよ!アイスの件でも自動販売機でも
それなりに貢献したつもりだったけど・・・」
A
「そういわないでよ、順番だから」
僕
「俺よりKが適任ってわけか・・・そうか・・・」
僕は悔しくって泣いてしまった。今でも覚えている。
会社に認められない悔しさを早くも知った僕は泣き崩れた。
僕は母親に泣き顔を見せることがあまり無かったので
(見せるのが嫌だった)泣いたのを誤魔化すために
顔を洗うことにした。
そしたらちょうど先生もいて
先生
「何かあったの?もめてたみたいだけど・・・大丈夫?」
僕
「大丈夫です。ちょっとしたことですから」
僕はぼろい蛇口でばしゃばしゃ顔を洗った。
結局高笑いするKに我慢できなくなった僕はその後すぐに
退職届を提出して(まあ実際は口頭)お店屋さんから抜けてしまった。
そんなとき新しい友達Sが出来て、そいつとよく遊ぶようになった。
お店屋さんごっこは相変わらず繁盛して、とうとう学童全体で
模擬店をやるほどになり、僕とSも店を開く。
されど、いわれのない中傷をKから受けたり、かなりいろいろ
些細な嫌がらせがあり、ついに僕とSは抗議文を
AとKの店に向けて発行する。
どんな内容か忘れてしまったが2005年の:pRess並みに
毒めいた文章だった気がする。
ところが運悪く(というか要領よくKが先生に通報)
見つかってしまい、僕とSは先生によって身柄を拘束された
(つまり、親が迎えに来るまで反省してそこに座ってなさい
ってこと)
僕とSは悲しかった。僕らの正当性を主張したかったのだが
もうとにかく事を早く終わらせて家に帰りたいと思った。
ちなみに先生に通報後Kも返事を僕らによこしている。
Kと僕とSと、それらの親と先生で話し合いがもたれた。
黙秘権の行使も出来ず、いろいろ言わされて
最終的には僕らが全面的に謝罪することとなった。
特に先生に呼び出されたり(向かいに来た後で
ついでの話し合いだったから呼び出されたのではないが)
したことがなかった僕であったのだが、そんな僕が
起こした事件に母親も驚いている様子だった。
さいたま地方裁判所からの帰り道(うそ)
僕は母親に弁明した。言い訳がうまくなったのは、このときの
経験からかも。
母
「あんたねぇ、いや、確かに相手が悪いのはわかったけど
それをちゃんと言わないと、結局自分が不利になるだけなんだよ
ここでぐたぐたいうなら、ちゃんとあのとき言えばよかったのよ」
僕
「帰りたかったから・・・」
これ以降、言いたいことはきちんと言おうとここに決めるのであった
(そして予備校のCFとぶつかるのであった笑)
それ以降Kとはあまり話をすることはなくなった。
世間話のようなものはあったけど、やっぱり
もやもやは消えなかった。
でもまあ、その後はつまらないお店屋さんは卒業して
上級生(4〜5年生)のお姉さんとばかり遊んでたんだけど(笑
(転落してるじゃん・・・)
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日はゆっくり眠りました。とくに理由はないけど
やっと目覚めたら、マミも起きてきて、一緒に
リビングでだらだらとしておりました。
マミと初めてあったときは小学生だったんだもんなぁ・・・
なんか信じられない(’A`)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
きっとこの先ずーっと隣国の方々とは仲良くできないのだろうなぁ(´・ω・`)
と太田総理の番組(名前失念)を見て思いました。
太田総理はいちいちアメリカ批判につなげなければ、やや共感
できる部分もあるのに残念です。紗理奈の発言がもっとも
真実だったかも(いつまでも恨み辛みを持っていたのでは
何の進歩もない、という主張だったような)まあ確かに、
日本国民がアメリカに対してハンガーストライキみたいなことを
やることもないし、アメリカの旗燃やしたりしてませんもんね
(何故か日本人自身が、日の丸や君が代を否定することはあるけれども)
・・・まあいいです。今日はたっぷり眠りました(いつもだが)
何故かまた変な夢を見まして、何故か夢に伊東美咲が
エルメスっぽく登場する夢でした。
(で、何故か携帯でメールができた夢だった。で、そこに
最近色気づいている僕の従兄弟が登場してちょっとした
奪い合いになる。
僕
『俺のメール(の本文)の方が長文だぞ!!!1(敢えて1)』
いとこ
『orz』
・・・というどうしようもない夢だった。
僕は、伊東美咲と二人きりになれそうになったのだが、
タイミング悪く、親戚のおばさんが、邪魔くさく割り込んでくる・・・多分
お盆で親戚が集まるぞ、っていう潜在的な意識がそういう風な
夢にさせたのかと・・・どうして伊東美咲だったのかは不明だが)
とくに仲良くなれるとか、なんか電車男みたいな展開が
あるような夢では無かったのですけれども、なんで
伊東美咲なんだ、と起きてから思いました。
参考資料:伊東美咲様のBLOG
http://www.ken-on.co.jp/misakiBlog/main/
夢に勝手に登場させて申し訳ございませんでした_| ̄|○
僕は夢はそれなりに見る方なんですけど、具体的な人物が
出てくることは殆ど無く(知らない人が殆ど)具体的な
人物だとハッキリわかった夢を見ることは、非常にめずらしいですよ。
さて、惰性で進行のこの日記でございますが、今日はまた
想い出語りでもしようかと。昨日の夜日記を置き終えたあとで
ふとそのころのことを思い出して、日記のネタに出来るなぁ
と思いまして・・・まあ追記しようかなと思ったのですが
大切なネタですから(笑 今日書くことにしました。
小学校の頃の思いで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
▼Hamuteru小学一年の時、初めての学童保育で転んで治療を受ける。
学童保育がどういうものかっていうのはご存じでない方も
いらっしゃると思うので軽く解説いたしますが、
児童の親が放課後例えば働きに出ているとか、あるいは
それ以外で充分に面倒が見られないときに、親に変わって
子供の保育するのが学童(保育)です。
ちょっと妙な言い回しですが、要するに保育園の小学校版と
受け取っても差し支えないかと。最近は共働きの
親が多いので預けられる児童の人数も増えているらしいですが。。。
こういう学童は、大方学校の施設内にあることが多いです。
僕が預けられていた学童も小学校の施設内にありました。
(もともとは教室だった場所を改装したようだった)
その学童保育は〜休みでも開かれており、小学校に入学する前
辺りから初めての顔合わせとして学童へ向かった記憶があります。
そのまま仕事に向かう親を追っかけたのか、あるいは学童へ
走ったのか忘れましたが、とにかく転んで怪我しました(’A`)
先生は優しく看護してくれたような・・・。
▼Hamuteru小学2〜3年生の時、同級とトラブルになる
具体的には忘れちゃったんですけど、僕はその時既に
嫌いな人物が出来てました。それはかつて日記にも
登場したことがあって、
http://diarynote.jp/d/14421/20030629.html
この日記のKazと書かれている人物がそう。
この人はとにかくちょっと屈折している感じの人だった。
まあインターネットに悪口書いている時点で僕も
頭のおかしいやつだけども。
そいつとどんなトラブルになったかというと、
よくある子供のケンカだったのだが・・・。
僕とKaz(以下Kとす)ともうひとり、女の子のAという人物がいて
僕ら3人はお店屋さんごっこをするほど仲のよい感じだった。
以下やりとりを書くけど、全部うろ覚え(そりゃもう何年も昔の
話だからね)だし、
大方誰から言ったくらいしかあってないと思う。まあ
思い出話ですから。
そもそも僕がそのお店屋さんごっこに参加したのは(初期メンバーではない)
その店で売っている商品を買ったことに由来する。
僕
「これください」
A
「はいどうぞ」
そこで出されたアイスみたいなものに深く落胆した僕は
技術的改良の提案をした(というか、そこら辺に画用紙が
落ちてたから、僕が勝手に作った)
当時AとKが売っていたアイスには問題があった。それは、
通常アイスのコーンとは、きれいな円錐であるはずなのに、
半球のアイス(*1)が乗っかる部分の一部が三角に・・・
というかとがっていた。
(*1:実際はそう見えるだけ)
実は既に社員(店員?)がいて、・・・要するに下級生のこと
なんだけど、彼らが作らされていたアイスの製作過程を
見たら、四角形の紙をそのまま丸めているようであった。
僕
「こうしたら良いんじゃないかな・・・」
僕は、それら扇形に切ってコーンを作ってみた。
まあ市販品のマネっこ。
下級生
「すごいねぇ・・・こういう風に作ってみる!」
その光景をみていたAが(男女雇用機会均等法の影響もあってか
このAが店長だった)
A
「是非とも私の店に参加して欲しい」
などと言ったような、言わなかったような・・・。
それから数日・・・アイスはなかなか好評だった。
だが・・・。
僕
「なんか飽きたから画期的なものを作りたいな」
K
「なにがあるかな」
僕?
「なんだろ、機械的なもの・・・自動販売機とか」
(これは僕からか、Kからか、はかなり怪しい)
とにかく段ボールで自動販売機を作ることにした。
これには紛れもなく僕も製作に関わっている。
具体的な技術提案までしたかはもう忘れたが、
初期のものには不備が多く僕が、Kが、少しずつ
手を加えて最終的にはビルド8179(何この数字)くらいで
公開にこぎつけた。
その自動販売機のギミックは非常に簡素で、
ボタン部分は段ボールを四角に切り取って
穴を開けて実装するのではなくて、上部だけ残してコの字に
切ることによって押せるようにする(戻らないエラーが
発生したときは人間が再起動する)
そのボタンの後ろに品物(牛乳パック製)を仕込んでおく
押されたときの力で商品が転げ落ちる(商品が置かれているところは
それぐらいの安定さしか意図的に確保してない)
そして下の取り出し口から品物が出てくる。
という単純なものだった(よく覚えているな)
しかし、エラー処理に多く不備を残していたこのシステムは
たびたび不具合を起こしいささか不便だった。
エラー事例:
1.お客さんがボタンを力任せに押すので、ボタンが折れる
2.自動販売機を下手に動かすと品物が全て転げ落ちる
3.1と似ているが、力任せの時に衝撃も加わると
ボタンを押してない商品まで転げ落ちる。
4.叩かれた・揺らされたとった想定できる扱いに対処していない。
まあ小学生だらけの集団だったので、そんな自動販売機でも
大変好評で、今までお店屋さんごっこに見向きもしなかった連中
までもが、それのボタンを押すためにやってきたりした。
その作品は先生も高く評価したのだが・・・。
ある日、僕が小学校の校内を歩いているとき、見つけてしまったのである。
夏休みの課題としてよくある
アイディアコンクールの応募作品として出品されている
自動販売機を!
紛れもなく僕も製作に関わったあの自動販売機だった。
(僕だって技術的改良に加わっていたのに!)
もう怒りというか、ただ呆れた・・・。そうかそういうことが
平気で出来るやつだったんだなぁ、と。
僕はKへの不満を募らせるのであった
(改めて書くけど、小学校2〜3年生の時の話)
まるで技術指導をしたら、そのまんまコピーされた
国内業者みたいにな気分に陥った僕であったが、しかし
果報もあった。
A
「2号店ではHamuを支店長にしようと思う」
小学生ながらなかなかの出世だ!
僕
「ホントウかい?そりゃ嬉しいね」
その地位というよりも、自分が全てをコントロールできる店が
出来ることが嬉しかったのだろうと思う。思い返すと、
A→K→僕という流れが出来ていたようにも思うし、
自分が立案したって貢献したって夏休みのコンクールで
横取りされたんじゃ面白くないわっ!って思っていたような気がする
(どこかの誰かが言っていたけど、想い出とは都合の良いように
改変されるから鵜呑みにしないように)
ちなみに、夏休みの作品はされなりに評価されるどころか
賞状までもらっていた気がする、もちろんKひとりの名義で
しかし、いざそうなるぞ、といったときに、Aが突然
A
「やっぱり新店長はKにする・・・」
と言いだした
僕
「どうしてだ!、僕って言ってたじゃないか!」
A
「まあそうしたいのは山々なんだけど、結局Kが
先に入ってきたわけだし・・・」
時代は1996〜7年頃、まだまだ年功序列が崩れていない
時代でした(なんだかめちゃくちゃだな)
僕
「納得できないよ!アイスの件でも自動販売機でも
それなりに貢献したつもりだったけど・・・」
A
「そういわないでよ、順番だから」
僕
「俺よりKが適任ってわけか・・・そうか・・・」
僕は悔しくって泣いてしまった。今でも覚えている。
会社に認められない悔しさを早くも知った僕は泣き崩れた。
僕は母親に泣き顔を見せることがあまり無かったので
(見せるのが嫌だった)泣いたのを誤魔化すために
顔を洗うことにした。
そしたらちょうど先生もいて
先生
「何かあったの?もめてたみたいだけど・・・大丈夫?」
僕
「大丈夫です。ちょっとしたことですから」
僕はぼろい蛇口でばしゃばしゃ顔を洗った。
結局高笑いするKに我慢できなくなった僕はその後すぐに
退職届を提出して(まあ実際は口頭)お店屋さんから抜けてしまった。
そんなとき新しい友達Sが出来て、そいつとよく遊ぶようになった。
お店屋さんごっこは相変わらず繁盛して、とうとう学童全体で
模擬店をやるほどになり、僕とSも店を開く。
されど、いわれのない中傷をKから受けたり、かなりいろいろ
些細な嫌がらせがあり、ついに僕とSは抗議文を
AとKの店に向けて発行する。
どんな内容か忘れてしまったが2005年の:pRess並みに
毒めいた文章だった気がする。
ところが運悪く(というか要領よくKが先生に通報)
見つかってしまい、僕とSは先生によって身柄を拘束された
(つまり、親が迎えに来るまで反省してそこに座ってなさい
ってこと)
僕とSは悲しかった。僕らの正当性を主張したかったのだが
もうとにかく事を早く終わらせて家に帰りたいと思った。
ちなみに先生に通報後Kも返事を僕らによこしている。
Kと僕とSと、それらの親と先生で話し合いがもたれた。
黙秘権の行使も出来ず、いろいろ言わされて
最終的には僕らが全面的に謝罪することとなった。
特に先生に呼び出されたり(向かいに来た後で
ついでの話し合いだったから呼び出されたのではないが)
したことがなかった僕であったのだが、そんな僕が
起こした事件に母親も驚いている様子だった。
さいたま地方裁判所からの帰り道(うそ)
僕は母親に弁明した。言い訳がうまくなったのは、このときの
経験からかも。
母
「あんたねぇ、いや、確かに相手が悪いのはわかったけど
それをちゃんと言わないと、結局自分が不利になるだけなんだよ
ここでぐたぐたいうなら、ちゃんとあのとき言えばよかったのよ」
僕
「帰りたかったから・・・」
これ以降、言いたいことはきちんと言おうとここに決めるのであった
(そして予備校のCFとぶつかるのであった笑)
それ以降Kとはあまり話をすることはなくなった。
世間話のようなものはあったけど、やっぱり
もやもやは消えなかった。
でもまあ、その後はつまらないお店屋さんは卒業して
上級生(4〜5年生)のお姉さんとばかり遊んでたんだけど(笑
(転落してるじゃん・・・)
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日はゆっくり眠りました。とくに理由はないけど
やっと目覚めたら、マミも起きてきて、一緒に
リビングでだらだらとしておりました。
マミと初めてあったときは小学生だったんだもんなぁ・・・
なんか信じられない(’A`)
コメント
わけないよな。
みんな覚えてないものなんだな・・・。