もしもパソコンが無くなったら前編 [1591号]
2006年6月25日本日の日記
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どれだけの方が楽しみにされているかわからない日記へようこそ(笑
やっぱり面白い記事ってのは、自分が面白いと感じてないと
書けないものですよね。うんうんと。今はもう、考えたいことを
先延ばしにしてまで、考えなければならないことがたくさんあって
とてもとても笑いを狙うような記事は書けませんね(そもそも
そんな記事を書いたことはないけど・・・あったかな?)
数日前に、段ボールPCの話は後日すると書いたので今日は
その話を。
僕は皆様がご存じの通りパソコン依存人間です。
スタンドアローンのパソコンでは満足出来ないでしょうから
もしかしたらインターネットに依存しているかもしれません。
(純粋に完結した使い方をしていたのは初めてPCを買ってから僅か数ヶ月あまりですから)
さて、この日記を書いている間、実にいろいろなことがございました。
僕が中学生の時にこの日記を開始しましたが、実にいろいろと。
その殆どは日記に記してきましたが、何故か書かれていない
一面もあったりするのです(そのときは載せるに適切でない
という判断からだったのか、そのときは関係者が見ていたからなのか・・・)
僕は個人塾に通っていたときがありました。現在でも
僅かばかりの英語力があるのは、そのときの先生のおかげ
なのでしょうが、日記では真面目ぶっている僕でも、
実生活はていたらくそのもの。まあヨウヨウ叫んでないだけ
マシだったかもしれませんけれども、現在の自分と比べたら・・・
いや今も本質的には変わってません(笑
まあとにかく、例えば宿題を忘れたり、遅刻をしたり、
とにかく塾の先生とは非常に折り合いが付かなかったのです。
特に授業を聞いているときに眠気が襲ってくるのは、
多分学生特有の病気の一つなのではないかと信じたくなるほど
僕は眠気に襲われました。
個人塾で少人数。先生は目の前。なのに居眠りするHamuteruクオリティ(笑
先生
「おい、顔洗ってこい!」
僕
「はい、洗面所お借りします・・・」
こんなことが幾度も繰り返され、次第に先生の叱りはたまっていくのです。
先生
「お前なぁ、何のためにここに来てるんだ?
お前ちゃんと寝てるんだろ?もしかしてパソコンが原因なんじゃないか
寝ないでパソコンをしているから眠くなるんだろ。
パソコン取り上げな」
僕
「はい・・・えええ」
先生
「ええ、じゃない。次の期末まで預かる!」
これが個人経営塾ならではのむちゃくちゃ。さすがに
母親の顔も曇ったが、元はといえば僕が悪い。
その点で僕も何も言えず、当時使っていたC5/1007はドナドナ・・・(戻ってくるけど)
実はこのときは素直に聞き入れ、パソコンを預けも実際に
日記の更新が止まったのです。
それが2002年2月22日(1日違いだと嫌な数字)
〜
2002年3月27日までに及んだ更新停止の真実なのです。
参考:
更新停止告知
http://diarynote.jp/d/14421/20020222.html
復活
http://diarynote.jp/d/14421/20020327.html
このときは『母親によって』としているけど実は
手元にパソコンは無かったのです(笑
そんなことはやはり堂々と書けないでしょう。どんな塾だよって
つっこみ来そうですし(今しても無駄です。もう関わりないし)
まあその取り上げられたのが塾によって、という所以外は
真実です。英語の成績で5をとったら返すっていうのは
むちゃくちゃですが、中1の頃でしたから可能ですよね。
しかしソフマップから更新している所から見るに
本当昔はかなりの情熱を持っていたのですね(笑
今だったら喜んで更新止めちゃうかも・・・(もちろんウソよ)
さてさて、これ以降、2003年の7月まで日記が
止まったことはないはずです。それに全然段ボールPCと話が繋がりませんよね?
ここからが本編です
今までは映画の前のCMに過ぎないのでした。むかつかないでね。
それで、それ以降は順調だったのですがね相変わらず不規則な生活に
変わりは無いどころが、その当時Flashが流行っていたこともあって
僕の寝る時間はますます削られていきます。
僕一人の人間がだらしないが為に、どんどんと周りの人に
ストレスを与えてゆくのです。
僕は学校から帰るとすぐにソファーに寝ころぶのが日課となりました。
学校から帰宅して塾に行くまでおよそ2時間程度の余裕があったので
その間によく眠っていたのです。そこで寝ても塾では
眠くなってました。でも今よりは眠っていたはずなので
(最近の平均睡眠時間は3〜4時間程度よ。ネットしてたり
小テストの勉強してるとそれくらいはザラ)
やっぱり中学生に睡眠不足が続く生活は酷だったのかもしれません。
(1時で早く、2時ぐらいに寝るのが標準でした。
今は1時は寝ないで2時が早く3時が標準)
疲れて帰った母親がまずすることがその当時
『僕をたたき起こすこと』でした。当時の僕の至らなさには
本当に今はお詫びしたい気持ちでいっぱいです。今は
起きられますので。
起きたばかりの僕は当然機嫌斜めなのです。まるで
売れすぎて天狗になっているタレントのように、
塾の不満をぶつけてみたり、いらだちをぶつけたりするのです。
結局母親とは口論になるのです。
母
「いい加減にしなさい!疲れて帰って、のんきに寝腐って、
どうして母さんが起こさねばなら無いんだ!」
僕
「眠いんだよ!だいたい塾だって終わるのが遅いの、
夕方眠くなってもしょうがないでしょ!(超理不尽)」
仕事の都合で、当然母親の帰りが遅くなるときがあるのです。
そんなときは塾の先生の電話で目が覚めるのです。
・・・と、ごめんなさい、書いていて時間が無くなりました。
明日英語の小テストですので、お勉強しなけねば。
というわけで、明日に続く!まて、明日!
(Hamuteru墜落記・前編完)
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そのころはもうマミと遊んでやる余裕さえも・・・ってことは
無かったかな。写真は相変わらず撮っていたし、とにかく
平日の自分は最悪でした。
で、今日も相変わらず僕の部屋の椅子の上で寝てました。
起きたら右横にマミの寝姿。そしてその下には潰れそうな
ヘッドホン・・・
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どれだけの方が楽しみにされているかわからない日記へようこそ(笑
やっぱり面白い記事ってのは、自分が面白いと感じてないと
書けないものですよね。うんうんと。今はもう、考えたいことを
先延ばしにしてまで、考えなければならないことがたくさんあって
とてもとても笑いを狙うような記事は書けませんね(そもそも
そんな記事を書いたことはないけど・・・あったかな?)
数日前に、段ボールPCの話は後日すると書いたので今日は
その話を。
僕は皆様がご存じの通りパソコン依存人間です。
スタンドアローンのパソコンでは満足出来ないでしょうから
もしかしたらインターネットに依存しているかもしれません。
(純粋に完結した使い方をしていたのは初めてPCを買ってから僅か数ヶ月あまりですから)
さて、この日記を書いている間、実にいろいろなことがございました。
僕が中学生の時にこの日記を開始しましたが、実にいろいろと。
その殆どは日記に記してきましたが、何故か書かれていない
一面もあったりするのです(そのときは載せるに適切でない
という判断からだったのか、そのときは関係者が見ていたからなのか・・・)
僕は個人塾に通っていたときがありました。現在でも
僅かばかりの英語力があるのは、そのときの先生のおかげ
なのでしょうが、日記では真面目ぶっている僕でも、
実生活はていたらくそのもの。まあヨウヨウ叫んでないだけ
マシだったかもしれませんけれども、現在の自分と比べたら・・・
いや今も本質的には変わってません(笑
まあとにかく、例えば宿題を忘れたり、遅刻をしたり、
とにかく塾の先生とは非常に折り合いが付かなかったのです。
特に授業を聞いているときに眠気が襲ってくるのは、
多分学生特有の病気の一つなのではないかと信じたくなるほど
僕は眠気に襲われました。
個人塾で少人数。先生は目の前。なのに居眠りするHamuteruクオリティ(笑
先生
「おい、顔洗ってこい!」
僕
「はい、洗面所お借りします・・・」
こんなことが幾度も繰り返され、次第に先生の叱りはたまっていくのです。
先生
「お前なぁ、何のためにここに来てるんだ?
お前ちゃんと寝てるんだろ?もしかしてパソコンが原因なんじゃないか
寝ないでパソコンをしているから眠くなるんだろ。
パソコン取り上げな」
僕
「はい・・・えええ」
先生
「ええ、じゃない。次の期末まで預かる!」
これが個人経営塾ならではのむちゃくちゃ。さすがに
母親の顔も曇ったが、元はといえば僕が悪い。
その点で僕も何も言えず、当時使っていたC5/1007はドナドナ・・・(戻ってくるけど)
実はこのときは素直に聞き入れ、パソコンを預けも実際に
日記の更新が止まったのです。
それが2002年2月22日(1日違いだと嫌な数字)
〜
2002年3月27日までに及んだ更新停止の真実なのです。
参考:
更新停止告知
http://diarynote.jp/d/14421/20020222.html
復活
http://diarynote.jp/d/14421/20020327.html
このときは『母親によって』としているけど実は
手元にパソコンは無かったのです(笑
そんなことはやはり堂々と書けないでしょう。どんな塾だよって
つっこみ来そうですし(今しても無駄です。もう関わりないし)
まあその取り上げられたのが塾によって、という所以外は
真実です。英語の成績で5をとったら返すっていうのは
むちゃくちゃですが、中1の頃でしたから可能ですよね。
しかしソフマップから更新している所から見るに
本当昔はかなりの情熱を持っていたのですね(笑
今だったら喜んで更新止めちゃうかも・・・(もちろんウソよ)
さてさて、これ以降、2003年の7月まで日記が
止まったことはないはずです。それに全然段ボールPCと話が繋がりませんよね?
ここからが本編です
今までは映画の前のCMに過ぎないのでした。むかつかないでね。
それで、それ以降は順調だったのですがね相変わらず不規則な生活に
変わりは無いどころが、その当時Flashが流行っていたこともあって
僕の寝る時間はますます削られていきます。
僕一人の人間がだらしないが為に、どんどんと周りの人に
ストレスを与えてゆくのです。
僕は学校から帰るとすぐにソファーに寝ころぶのが日課となりました。
学校から帰宅して塾に行くまでおよそ2時間程度の余裕があったので
その間によく眠っていたのです。そこで寝ても塾では
眠くなってました。でも今よりは眠っていたはずなので
(最近の平均睡眠時間は3〜4時間程度よ。ネットしてたり
小テストの勉強してるとそれくらいはザラ)
やっぱり中学生に睡眠不足が続く生活は酷だったのかもしれません。
(1時で早く、2時ぐらいに寝るのが標準でした。
今は1時は寝ないで2時が早く3時が標準)
疲れて帰った母親がまずすることがその当時
『僕をたたき起こすこと』でした。当時の僕の至らなさには
本当に今はお詫びしたい気持ちでいっぱいです。今は
起きられますので。
起きたばかりの僕は当然機嫌斜めなのです。まるで
売れすぎて天狗になっているタレントのように、
塾の不満をぶつけてみたり、いらだちをぶつけたりするのです。
結局母親とは口論になるのです。
母
「いい加減にしなさい!疲れて帰って、のんきに寝腐って、
どうして母さんが起こさねばなら無いんだ!」
僕
「眠いんだよ!だいたい塾だって終わるのが遅いの、
夕方眠くなってもしょうがないでしょ!(超理不尽)」
仕事の都合で、当然母親の帰りが遅くなるときがあるのです。
そんなときは塾の先生の電話で目が覚めるのです。
・・・と、ごめんなさい、書いていて時間が無くなりました。
明日英語の小テストですので、お勉強しなけねば。
というわけで、明日に続く!まて、明日!
(Hamuteru墜落記・前編完)
今日のマミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そのころはもうマミと遊んでやる余裕さえも・・・ってことは
無かったかな。写真は相変わらず撮っていたし、とにかく
平日の自分は最悪でした。
で、今日も相変わらず僕の部屋の椅子の上で寝てました。
起きたら右横にマミの寝姿。そしてその下には潰れそうな
ヘッドホン・・・
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