ほんの少しだけ[1446号]
2006年1月31日本日の日記
今日の日記は、面白い。
実は、半分くらい書いたところで、何故か(多分またキー操作を
誤って)
全部消えてしまった。まるで『そんな内容で、本当にいいの?』
と言うように・・・。
僕は、結構間違っていたかもしれない。誰かの日記にも
書いてあったけど、結構視野が狭くなっていたのかも。
ほんの少しだけ(槇原敬之のニューシングル)、は、
『feat. KURO from HOME MADE 家族』というだけで、
嫌だなーと思ったのですが、改めて消された日記のように
心を空っぽにして聴いてみたら、なかなかのいい曲である
ことに気づきました。特に“詩”が。
KUROの歌う部分が、往年のマッキーの歌詞(特にCicada以前)を
思い出させるいい歌詞になってます。
Gazerは、カッコイイ曲です。アレンジが。
ゥンチャカみたいな変な雰囲気はなく、やはり、
昔のマッキーの曲を思わせる感じです。
歌詞も、世界に〜の槇原敬之っぽくはなく、
うーん、おお、どうしたんだ、戻ってきたか槇原!っという
感じです。
以下、槇原敬之を語らせてください(日記なんだからいいよね?)
とあるブログ(*1)に、槇原敬之の最近の姿勢や曲について
やや批判的な意見が書かれているのを発見しました。
まるで、自分の中島美嘉に対する姿勢を見ているようで、
『他人から見たときの:pRessってこんな感じか?』と
全然関係のないことを思ってみたりしましたが。
しかし、非常に明晰にかかれたその文章を読んだとき、
妄信的な槇原敬之信者である僕ですら、思わず
納得してしまいました。僕は:pRessという、非常に批判的な
サイトを運営していながら、槇原敬之に対しては、まるで
洗脳を受けたかのように、全てをいいと思っていたところが
あったようです。
確かに、アレンジは、いいと思いますし、僕自身は、
いろいろ書かれているココロノコンパスや、ゥンチャカについて
は、好きです。
されど、僕はこのブログを読む前から、自分の槇原敬之の曲
姿勢について、あることに気づいたのです。
ITunesを使うようになってから顕著に感じるようになったのですが
聴いているのは、古い曲ばかりで、最近の、2004年以降に
リリースされてた曲を全然聴いていないことに。
スマートプレイリストで、Ipodで再生された回数が、
15回以下の、『ちっとも再生しない曲』というリストを
作っているのですが、そこに、2004年以降にリリースされた
曲がごろついてます。
通学用のMDを作るときでも、やはり最近の曲は入れない傾向が
あります。
槇原敬之が嫌いになったのではありません。
これは、中島美嘉にも共通して言えるのですが、
どうも最近の槇原敬之の曲は、感情移入がしづらいというか、
僕は、結構痛いやつなので、気に入った歌は、その歌詞までもが
歌詞を見ずしても歌えるくらい好きになるのですが、
マッキーの覚えやすいはずの曲もいまいち覚えてなかったり、
(矛盾なんだけど、LoveAddictは未だに歌詞を覚えてません
大好きなのに笑)
そのブログの管理人さんと同じ意見になってしまうのですが、
確かに、マッキーの曲は、微妙に遠いものになってしまった
のかなぁ?と思います。
うーん、でも、新曲の具合を見てみると、そろそろ昔からの
ファンが感動できるような、曲も出てくるのではないかな?と
思うのですが。
まあ、いろいろ言いつつも、マッキーの今度のアルバムには
期待しますし、それからも、曲を聴き続けます。
なぜならば、
『君がやっぱり好きだから』
(↑これが言いたかっただけだろ笑)
(*1:そのブログ様は、ここです。
ttp://mitokichi.blog13.fc2.com/)
かるくマッキー批判をしてみるも、中島美嘉への批判に
比べれば甘っちょろいですね。
そんなことを書きつつもSD(マッキーのファンクラブ)の会費支払ってきました。
槇原の曲依存は、変わること無いでしょうね。
今回リリースされた新曲は、本当に素晴らしいですし。
アレンジがカッコイイ。詩もいいけど。
そういえば、TSUTAYAで。玉置浩二の『キ・ツ・イ』を
借りてしまいました(シングルコレクションみたいなものを借りた)
古いサウンドなんだけど、いい。
歌い方も好きだわ(走りだしったぁああ〜みたいな部分が)
今日のマミ
最近の楽しみは、学校から帰宅して、私服に着替えて
カーペットの上で正座にちかい形になってすわり、
マミを膝に乗せてぼーっとすることです。
無心になります。なにも考えなくてもいい時間。
今日の日記は、面白い。
実は、半分くらい書いたところで、何故か(多分またキー操作を
誤って)
全部消えてしまった。まるで『そんな内容で、本当にいいの?』
と言うように・・・。
僕は、結構間違っていたかもしれない。誰かの日記にも
書いてあったけど、結構視野が狭くなっていたのかも。
ほんの少しだけ(槇原敬之のニューシングル)、は、
『feat. KURO from HOME MADE 家族』というだけで、
嫌だなーと思ったのですが、改めて消された日記のように
心を空っぽにして聴いてみたら、なかなかのいい曲である
ことに気づきました。特に“詩”が。
KUROの歌う部分が、往年のマッキーの歌詞(特にCicada以前)を
思い出させるいい歌詞になってます。
Gazerは、カッコイイ曲です。アレンジが。
ゥンチャカみたいな変な雰囲気はなく、やはり、
昔のマッキーの曲を思わせる感じです。
歌詞も、世界に〜の槇原敬之っぽくはなく、
うーん、おお、どうしたんだ、戻ってきたか槇原!っという
感じです。
以下、槇原敬之を語らせてください(日記なんだからいいよね?)
とあるブログ(*1)に、槇原敬之の最近の姿勢や曲について
やや批判的な意見が書かれているのを発見しました。
まるで、自分の中島美嘉に対する姿勢を見ているようで、
『他人から見たときの:pRessってこんな感じか?』と
全然関係のないことを思ってみたりしましたが。
しかし、非常に明晰にかかれたその文章を読んだとき、
妄信的な槇原敬之信者である僕ですら、思わず
納得してしまいました。僕は:pRessという、非常に批判的な
サイトを運営していながら、槇原敬之に対しては、まるで
洗脳を受けたかのように、全てをいいと思っていたところが
あったようです。
確かに、アレンジは、いいと思いますし、僕自身は、
いろいろ書かれているココロノコンパスや、ゥンチャカについて
は、好きです。
されど、僕はこのブログを読む前から、自分の槇原敬之の曲
姿勢について、あることに気づいたのです。
ITunesを使うようになってから顕著に感じるようになったのですが
聴いているのは、古い曲ばかりで、最近の、2004年以降に
リリースされてた曲を全然聴いていないことに。
スマートプレイリストで、Ipodで再生された回数が、
15回以下の、『ちっとも再生しない曲』というリストを
作っているのですが、そこに、2004年以降にリリースされた
曲がごろついてます。
通学用のMDを作るときでも、やはり最近の曲は入れない傾向が
あります。
槇原敬之が嫌いになったのではありません。
これは、中島美嘉にも共通して言えるのですが、
どうも最近の槇原敬之の曲は、感情移入がしづらいというか、
僕は、結構痛いやつなので、気に入った歌は、その歌詞までもが
歌詞を見ずしても歌えるくらい好きになるのですが、
マッキーの覚えやすいはずの曲もいまいち覚えてなかったり、
(矛盾なんだけど、LoveAddictは未だに歌詞を覚えてません
大好きなのに笑)
そのブログの管理人さんと同じ意見になってしまうのですが、
確かに、マッキーの曲は、微妙に遠いものになってしまった
のかなぁ?と思います。
うーん、でも、新曲の具合を見てみると、そろそろ昔からの
ファンが感動できるような、曲も出てくるのではないかな?と
思うのですが。
まあ、いろいろ言いつつも、マッキーの今度のアルバムには
期待しますし、それからも、曲を聴き続けます。
なぜならば、
『君がやっぱり好きだから』
(↑これが言いたかっただけだろ笑)
(*1:そのブログ様は、ここです。
ttp://mitokichi.blog13.fc2.com/)
かるくマッキー批判をしてみるも、中島美嘉への批判に
比べれば甘っちょろいですね。
そんなことを書きつつもSD(マッキーのファンクラブ)の会費支払ってきました。
槇原の曲依存は、変わること無いでしょうね。
今回リリースされた新曲は、本当に素晴らしいですし。
アレンジがカッコイイ。詩もいいけど。
そういえば、TSUTAYAで。玉置浩二の『キ・ツ・イ』を
借りてしまいました(シングルコレクションみたいなものを借りた)
古いサウンドなんだけど、いい。
歌い方も好きだわ(走りだしったぁああ〜みたいな部分が)
今日のマミ
最近の楽しみは、学校から帰宅して、私服に着替えて
カーペットの上で正座にちかい形になってすわり、
マミを膝に乗せてぼーっとすることです。
無心になります。なにも考えなくてもいい時間。
コメント