2002年〜2003年の自分は輝いていたように思う。
2004年8月20日 日常本日の日記
久しぶりに「・」コレ無しで更新。
とうとう気が狂ったか・・・とボヤかれそうではありますが、
過去の自分の日記を読むと、なんだかとても嬉しそうなのですよ。
昔っからこの日記を読んで下さっている方。
覚えていらっしゃいますか?2002年で僕が戦っていた
「ケータイDQN」後に「イシヅカー」とも呼んでいたような。
そして、その友達「中島美嘉似」いかに中島美嘉に入れ込んで・・・。ゲフン。
この日記も最近じゃすっかり、朝日批判と、妄信的ファン批判と
マッキー万歳(ばんざいね、マンセーと読まず)
か。落ちぶれたのう。_| ̄|○
別に、日々をぐだぐた綴るという意味では、本質から外れては
いないと思う。四六時中マッキー聞いてニヤニヤして
朝日の天声人語読んでは、読売に切り替わるのを指折り数えているし。
そういえば、過去の日記読んで思ったのが、
自身の恋愛について一言も書かれてないない
こと。もちろん、経験が薄い(恋人の有無で経験の有無を決められるなら私は無・・・さみしー)
からもあるけど、誰しも、片思いの1つや2つするはずである。
まあ、もう卒業して結構過ぎて、当時の特に親しい知り合い以外は、ぶつぶつと縁が切れていった。
そんな風になっていくことに、別に悲しいとは思わなかった。
そんなものだと初めから思っていたからね(人見知りと言われる所以か?)
だから、今更振り返ってここに書き殴ろうかな。
何を今更・・・そう思っても、なんか、よろしく(意味不明)
当時、そんなことが書けなかったのは、関係者・・・知り合いに
この日記を教えまくっていた自分のせいだった。
H氏・・・いやH師匠、まだ見ておられるのか?
イシヅカネタでは随分とワイワイ楽しんだ。たしかに
嫌な思い出だったけど、それが縁でY君とも友達になれたし。
Os君、メール返さなくてごめんよ・・・・。
まあ、これらも全て「何を今更」か・・・。
おっと、それで、話しは2002年に戻るわけだが・・・。
イシヅカと僕との攻防をログまで読んでくるのはめんどい
という人のため(それと読み始めたのが最近という人のため)
簡単におさらい。
その、2002年の6月頃に、なにを勘違いしたのか(はたまた時計が
読めないのか狂っているのか)
休日の朝6時から30秒おきに電話!
もちろん寝ていた僕は拒否したが。
で留守にはしょうもない戯言を録音・・・と。
見事なDQNぷりだったわけで。
それで、その年の夏休みがおわり、席替えをしたら
そいつと隣になってしまったというわけだ。
ふー、懐かしい。
もう、1000文字か。
なんだか中途半端だけど、続きは明日にでも。。。
(このあたりをご参照いただけるともっと楽しめるかと思いますです。)
http://diarynote.jp/d/14421/_0_380.html
http://diarynote.jp/d/14421/_0_390.html
http://diarynote.jp/d/14421/_0_400.html
今日のマミ
和室の内装(というかふすまとかが)とても人様を呼べない
状態になってしまった・・・。
マミが天袋に上るとき、どうしても、爪がひっかかって
ふすまを破いてしまう。ほんとうに築3年かい!って
思いたくなるようなひどさで、内装業者あたりに
補修を依頼する予定。どの業者にするか
母とあーでもないこーでもないと話している最中にも
マミはそんなどうでもいいことにこだわる僕らを
バカにするみたいに、またバリバリとふすまを破いていた・・・。
なんか小説家チック_| ̄|○
久しぶりに「・」コレ無しで更新。
とうとう気が狂ったか・・・とボヤかれそうではありますが、
過去の自分の日記を読むと、なんだかとても嬉しそうなのですよ。
昔っからこの日記を読んで下さっている方。
覚えていらっしゃいますか?2002年で僕が戦っていた
「ケータイDQN」後に「イシヅカー」とも呼んでいたような。
そして、その友達「中島美嘉似」いかに中島美嘉に入れ込んで・・・。ゲフン。
この日記も最近じゃすっかり、朝日批判と、妄信的ファン批判と
マッキー万歳(ばんざいね、マンセーと読まず)
か。落ちぶれたのう。_| ̄|○
別に、日々をぐだぐた綴るという意味では、本質から外れては
いないと思う。四六時中マッキー聞いてニヤニヤして
朝日の天声人語読んでは、読売に切り替わるのを指折り数えているし。
そういえば、過去の日記読んで思ったのが、
自身の恋愛について一言も書かれてないない
こと。もちろん、経験が薄い(恋人の有無で経験の有無を決められるなら私は無・・・さみしー)
からもあるけど、誰しも、片思いの1つや2つするはずである。
まあ、もう卒業して結構過ぎて、当時の特に親しい知り合い以外は、ぶつぶつと縁が切れていった。
そんな風になっていくことに、別に悲しいとは思わなかった。
そんなものだと初めから思っていたからね(人見知りと言われる所以か?)
だから、今更振り返ってここに書き殴ろうかな。
何を今更・・・そう思っても、なんか、よろしく(意味不明)
当時、そんなことが書けなかったのは、関係者・・・知り合いに
この日記を教えまくっていた自分のせいだった。
H氏・・・いやH師匠、まだ見ておられるのか?
イシヅカネタでは随分とワイワイ楽しんだ。たしかに
嫌な思い出だったけど、それが縁でY君とも友達になれたし。
Os君、メール返さなくてごめんよ・・・・。
まあ、これらも全て「何を今更」か・・・。
おっと、それで、話しは2002年に戻るわけだが・・・。
イシヅカと僕との攻防をログまで読んでくるのはめんどい
という人のため(それと読み始めたのが最近という人のため)
簡単におさらい。
その、2002年の6月頃に、なにを勘違いしたのか(はたまた時計が
読めないのか狂っているのか)
休日の朝6時から30秒おきに電話!
もちろん寝ていた僕は拒否したが。
で留守にはしょうもない戯言を録音・・・と。
見事なDQNぷりだったわけで。
それで、その年の夏休みがおわり、席替えをしたら
そいつと隣になってしまったというわけだ。
ふー、懐かしい。
もう、1000文字か。
なんだか中途半端だけど、続きは明日にでも。。。
(このあたりをご参照いただけるともっと楽しめるかと思いますです。)
http://diarynote.jp/d/14421/_0_380.html
http://diarynote.jp/d/14421/_0_390.html
http://diarynote.jp/d/14421/_0_400.html
今日のマミ
和室の内装(というかふすまとかが)とても人様を呼べない
状態になってしまった・・・。
マミが天袋に上るとき、どうしても、爪がひっかかって
ふすまを破いてしまう。ほんとうに築3年かい!って
思いたくなるようなひどさで、内装業者あたりに
補修を依頼する予定。どの業者にするか
母とあーでもないこーでもないと話している最中にも
マミはそんなどうでもいいことにこだわる僕らを
バカにするみたいに、またバリバリとふすまを破いていた・・・。
なんか小説家チック_| ̄|○
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