思い出した事
2002年5月14日本日の日記
今日は珍しく、「今日のマミ」オンリーです。
では。
今日のマミ
実は思い出してしまったことがあって、、
私は、猫飼い暦(?)6年になります。
マミは今年で2歳ですが、
まだマミが生まれる前から、2匹の猫を
飼っていました。
「あれ?でもいつもホームページに登場するのは、マミだけじゃん」
と言う人いるかもしれません。
「どうしたの?2匹の猫ちゃんは。マミだけひいき?それとも・・・」
ここから先を予想した人は読んでもいいですが
鬱状態なるかも(^_^;)
既になってる人は、もっと(苦笑)
実は、2匹はそれぞれ1匹づつ飼ってました。
初代の猫「みゃー」ちゃんは、不慮の事故で・・・2代目「ミック」は交通事故で。
そして、3代目の「マミ」は皆さんのご存知のとおり、元気です。
今日お風呂入っててふと思い出したんです。
ミックの事を。(みゃーちゃんも思い出しましたが、その頃僕は小2だったので、印象が低いです。でも思い出すと涙が止まりませんが・・・)
ミックは、2歳で世を去りました。
ミックが世を去ったのは、1999年12月末。
世の中は「2000年がもうすぐ来るね!」
「きゃー西暦2000年問題(かなり懐かしい)!」
と騒いでいる時期でした。
もう動かない・・・
もう鳴かない・・・
もう・・・なにも・・・
そんな彼(ミックは唯一我が家でオスでした!)
を見ていても
「なんで・・・ミックが・・・なんで・・・」
と思いめぐらせるだけでした。
ミックと出会ったのは、1997年夏。
従兄弟とプールの帰り、よく猫がいるところに行こうって事になりミックはいました。
なんだか風邪をひいているようで、
「連れて帰ろうか?」って感じで連れてきました。その後従兄弟(兄だけが)準備登校のため帰り母と、僕と従兄弟(妹)で従兄弟の兄を送った
車の車内で名前を考えました。
月日は流れて、僕も1999年にT氏と出会いました。
夏ごろだったと思います。T氏のうちに遊びに行って「Win3.1搭載のこんぴゅーた〜もらったんだよ〜」なんてかわいく言ってましたT氏。
「それでねぇ、このこんぴゅーたーね、パスワード入れないといけないの〜"WIN"ってね(にこにこ)」か、かわいすぎるよ!!T氏!って思った人何人いますか?ちなみにそれはパスワードじゃなくてWindows呼び出し用のMS-DOSのコマンドですね(^_^;)
そんなやつもいまじゃ
「オイ!顔貸せ( ゜Д゜)ゴルァ!」
とか、
「金持ちのBONがYO!ヽ(*`Д´)ノSC-8820カイヤガッテ」
とか言うようになったんです。成長したね(^_^;)
おっと話が脱線しました。
季節は流れ・・・冬。
みんな恋人はサンタクロースとか、
恋人がいなくてクリスマスが寂しいとか(^_^;)
クリスマスはガンダムロボケテーイ(・∀・)
とか(誰だよそんなこと言う奴)
みんなそんな話題でした世の中は。
僕もそんな奴の一人。
「クリスマスはさぁ、エムピースリープレーヤーが欲しいんだけど」なんてほざいてました。
そのことの僕はMPEG-3だとずっと信じてました・・・。
おっとまた話が・・・
そしたら母が、「だったらMDコンポの方がいいでしょ?そんなの流行らないんだから」
大嘘吐き(^_^;)
「そだねぇ!」とバカみたいにMDコンポ買ってました。
1999年12月8日
まだ
彼はいました。
そして僕はうひゃうひゃしながらコンポを
開封して設置していた。
そしたらミックが外から帰ってきた。
「おお、帰ってきたのか、もう少し遊んできたら?ああ゛っ!汚いあんよでコンポに乗んないでぇ(^_^;)」とかやってました。
そんな事を出来るのも今だけと言うことも
知らずに。
僕とミックが会える時間はもう残り少ないと言うことも知らずに。
何も知らずに・・・
本当に・・・・
しばらくは、平穏でした。
T氏が遊びに来て、
わいわいとやっている日々が続きました。
クリスマスも無事向かえ・・・
いよいよ新年を迎える。
「来年でミックも3歳だねぇ」
なんていいながら。
運命の日は突然来た。何の前兆もなく・・・
その日僕はいつもの事ながらT氏と遊んだ。
LAOXへ行ってカタログ収集を。
夕方僕は家に帰った。
そして、
「はぁーつかれた〜ミック〜うりうり〜」
とごろごろしながらじゃれついてました。
思えば、それが最後だったかもしれません。
ミックとしっかりと遊んでやれたのは・・・
僕は知らなかった。いや、その後起こりうる
事態なんて誰も知らなかった。
母「明日は従兄弟たちと一緒に正月の買出しに行くからね。」
Hamu「ほんと?!従兄弟来るんだぁ!会いたいな」
とまだいたいけな自分は(^_^;従兄弟に会うのが
楽しみだった。
夕食を終え暖を取っていた。
そして夜はふけていき、
午後11時、
母「明日、買出しだから、パソコンを程ほどにね、もう寝るから。でもミックが見当たらないからちょっとお母さん探してくるね」と母は
家を出た。
僕は、パソコンをやっていた。
ちょっと胸騒ぎがした。
なんか、どんどん不安に駆られていった。
その時なぜが僕はExcelをしていた。
セルを見ながら、
「大丈夫かな・・・?見つかるかな?」
と、
そして、外から声が聞こえた。
誰かが叫んでいるような・・・・
母?
そしたらドアが開いた。そして
母「ミック!みっくーみっくぅーーーー!!」
と泣き叫ぶ声が家に響いた。
すぐに僕は玄関へ行った。
その時とっさに心構えをした。
「・・・来たのか・・・・あの声、あの時と同じ・・・」
みゃーちゃんが亡くなったときも母は泣き叫んだ。二度と聞きたくなかった。
そして僕は冷たくなっているミックと対面した
でも良くわからなくて、
Hamu「どうしたの?」
母「探しに・・・っいったら・・・っ駐車場で・・・倒れてた。」
Hamu「・・・・」なにもいえなかった
母は急いで家に上がり今のヒーターの前に座り
ミックを暖めていた。
僕は、泣き叫ぶ母と、動かなくなったミックを見つめているだけだった。
「なんで・・・?なんでミックが?」
と思い巡らせるだけ。
当たり前だった存在が消えた瞬間。
なのに涙も出なかった。
なんでだろう。
母は泣きじゃくっていた。
「ごめんねぇー。ごめんねぇー」
といってた。
そして、
「今日はミックと最後になるけど一緒に寝よう、明日埋めてあげようね」と母に言われ
ミックをタオルに包んで一番右に。
次に母。そして僕。の順で寝たが
母が「まだ1階で作業があるから先寝てて」
といわれ、僕はミックと1対1になった。
けど・・・眠れなくて、テレビを見ていた。
怖かったとかじゃなくて、現実を受け入れられなかった
翌日従兄弟がきて、僕が穴を掘り、そこに埋める。みんな泣いていた。でも僕は泣いていなかった。
そして穴に納めいよいよお別れになったとき、
僕は涙した。今までこらえていた気持ちを
爆発させたみたいに。
土をかぶせるのがとてもつらかった。
もう、鳴き声も聞けない。
遊んであげられない。
なにも出来ない。
悲しみのまま買出しに行った。
そして、従兄弟からワンピースを借りた(単行本)悲しみを紛らわせたけどやっぱり夜寝る時には泣いていた。
そして・・・
時は過ぎ、2000年7月マミの話がきて
8月・・・マミが来た。
マミと過ごせる1日1日を大切にしたいと切に思う。
例えカーテンを登られても(笑)
いつも明るい話題を。
という思考主義により今まで書いていませんでしたが、こういう事もあったわけです。
書いている途中にも泣いてしまいました。
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